明治の文豪夏目漱石の小説“三四郎”の中に落語家の三代目柳家小さん(当代小さんは六代目)の話芸を称賛する表現で「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものじゃない。何時でも聞けると思うから安っぽい感じがして甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じうして生きている我々は大変幸せである。今から少し前に生まれても小さんは聞けない。少し遅れても駄目だ。」と記しています。私はこの表現の中の“小さん”を当代坂東玉三郎丈に置き換えて、「五代目坂東玉三郎(しかも全盛期の)と時を同じようにして生きている我々は大変幸せである。」と常に思っています。平成13年に84歳で亡くなった女形の六代目中村歌右衛門も美しかったそうですが、私が舞台で見たのは残念ながら晩年の歌右衛門だった為老いに抗おうとする姿ばかりが目立ち、それほどの美を感じることはありませんでした。

その玉三郎丈が一年納めの歌舞伎座で、夢枕獏の作品“楊貴妃”に出演、相手役の市川中車扮する方士と30分ほどの舞踊劇を勤めました。物語は中国の唐の時代、九代皇帝玄宗の寵愛を受けた楊貴妃は安禄山の反乱を起因として殺されてしまいますが、楊貴妃を恋い慕う玄宗皇帝が仙術を会得した方士に楊貴妃の魂が住まいするという蓬莱山に行って手紙を届けるように命じます。玄宗の書状を携えた方士は蓬莱山の仙宮にたどり着き楊貴妃の魂を呼び出してその書状を渡します。手紙を受け取った楊貴妃は玄宗皇帝との楽しかった日々を懐かしんで舞い始め、方士も一緒に連れ舞いをしたあと皇帝との思い出のかんざしを自分と出会った証拠として方士に渡して楊貴妃は姿を消すという幻想的な舞踊劇でした。 

作家の夢枕獏はエッセイ“夢の速度”で「坂東玉三郎は人が見ることのできない体感することのできない速度を自身の肉体を使ってこの世に具現化する。たとえばそれは星の速度であり大輪のボタンがゆっくり花弁を開いていく花の速度である。静止というのもこの速度の一つである。」と書いています。時計の長針は一分たつと一目盛、一時間立つと文字盤を一周しますがその動いているのを体感することはほとんど困難です。しかし間違いなく動いているのです。

舞踊劇“楊貴妃”の玉三郎はまさにこれでした。方士がわざわざ蓬莱山の仙宮にやってきたことを知った楊貴妃が「なに皇帝の使いとや」と言って舞台の一番奥に設えた帳(とばり)の向こうから姿を現すのですが、その動作たるや動いていないんじゃないかとすら錯覚するぐらい極めてゆっくりなんです。ところがまばゆいばかりの京劇風の衣装に身を包んだ玉三郎のその美しさに見とれている間、はっと気が付いた時にはもう舞台の観客席に近いところに移動しているのです。エッいつの間に?瞬間移動??とすら思うような不思議な感覚を味わうことができたのです。まさに夢枕獏のエッセイの表現そのままでした。 

坂東玉三郎を舞台で見続けて早30年近くになりますが、おそらくはその美を維持するために凄まじい努力を重ねているのではないかと思います。昭和25年生まれの玉三郎丈の体型が30年前いやおそらく50年という単位で変わらないのです。人はどうしても年を取ると新陳代謝が悪くなるせいか余計な脂肪がつきやすく落ちにくくなることは仕方のないことだと思いますが、玉三郎丈は太りませんね。落語家の故立川談志さんは「芸人は売れてくるとすぐ太りやがる、ヤダねー。」とギャグに使っていましたが、あんまり売れなくても年を取ると太る傾向にあるようです。玉三郎丈は単に太らないというだけでなく“ふくよかにスマート”という表現が当てはまるぐらいに女形にピッタリな体型をずっと維持し続けているのは稀有なことに感じます。六代目歌右衛門も太ってはいませんでしたがこちらはスマートというよりは“痩せている”、いや悪く言えば“萎んでいる”という表現が適切かもしれないと考えています。(歌右衛門ファン御免なさい。) 

ともあれ一年納めの観劇が坂東玉三郎丈のうっとりするような美しさに酔いしれて終わることができたのはこの上ないいい一年だったと天に感謝しながら(と共に天罰に怯えながら)今年の“私のお芝居礼賛”の締めくくりとします。