平成30年11月のシアタークリエは、大竹しのぶ主演の「ピアフ」でした。エディット・ピアフは第二次大戦前から戦後にかけて多くの人から愛されたフランスのシャンソン歌手で、1915年(大正4年)パリの貧民街で生まれ1963年(昭和38年)フランスリヴィエラの老人ホームでわずか47歳でその華麗で悲劇的な生涯を閉じるまで歌い続け、数々の有名人と浮名を流し、愛人の事故死、四度の交通事故、薬物中毒などなどまさに小説やお芝居の題材に事欠かなかった人のようです。洋楽に疎い私はこのお芝居を見るまでピアフの存在を知りませんでしたが、彼女の代表曲の“バラ色の人生”や“愛の賛歌”は聞いたことがあります。
お芝居のストーリーは、大竹しのぶ扮するエディット・ガシオン(後のピアフ)が生きるために街頭で大声で歌を歌いお金を恵んでもらうといういわば乞食のような生活からその声をナイトクラブオーナーに認められ店で歌を披露するようになります。エディット・ガシオンは身長142㎝の小柄だったためにフランス語で“小さな雀”を意味する“ピアフ”という芸名を与えられ、その後はあっという間にスターに駆け上がり華やかな毎日を送ることになります。しかし酒と男と薬物といういわば三悪(?)に溺れてしまい、愛人だった妻子持ちのボクシング世界チャンピオンを飛行機事故でなくしてから少しずつ精神に変調をきたしさらに度重なる交通事故に遭遇して痛みをとるためのモルヒネ注射の多用で心身ともにボロボロとなって満足に歌も歌えなくなっていきます。やっとの思いで舞台に立っても歌うことができず倒れ込んでショーが中止になることもあってしだいに金銭面でも追い詰められ老人ホームで車椅子の生活となりますが、それでも彼女のファンだった若い愛人が最後まで傍に付き添っているのです。
1963年10月10日ピアフが息を引き取った翌日その報を受けた友人の詩人ジャン・コクトーが衝撃のあまり「なんということだ!」と言って寝室に入りそのまま心臓発作で亡くなったとのことです。
私はこの「ピアフ」を大竹しのぶ主演で見るのは三度目ですが、三度とも最前列に座っての観劇でしたので大竹しのぶの顔の表情や目の動きが(目の悪い私でも)手に取るようにわかりました。今回驚いたのが彼女の演技する“狂人の目”でした。直接的に表現するのは憚られるのでしょうか、精神薄弱者や認知症患者そして気が狂った人の目は普通の人の目とは全く違う尋常ならざる光を発するような気がします。精神を病んだ晩年のピアフがなんとか舞台に立った時の目が、大竹しのぶによってまさに“狂人の目”そのものに感じられ私の目の前 数メートル先にあるこの目に恐怖感すら覚えました。これまで狂人や精神薄弱者を演じた俳優はたくさんいましたが、どんなに迫真の熱演でも目だけは残念ながら健常者のそれでした。
“目の演技”とはきわめて難しいもののようで、戦争映画やドラマで間もなく死なねばならない特攻隊員を演ずる俳優の目は全くと言っていいほど死を覚悟した人の目には見えません。しかし記録フィルムや写真に残された特攻隊員の目は異常な状況の下で死を決意した(せざるを得なかった)人特有のみんな同じ目をしています。無意識のうちに、御国の為任務完遂の決意のほかに呆然・諦め・死にたくない・逃げたいなどの感情がない交ぜになって目に現れてくるのだと思いますが、演技でこれを表現することは至難の業のようです。何年か前に“永遠のゼロ”という戦争映画がヒットしたことがありましたが、主演の岡田准一の演技はともかくも目だけは全く零戦搭乗員の目にはなっておらず(アイドルタレントにそれを求めるのは酷だとわかっていながら)悲しくなりました。平成23年11月天王洲銀河劇場「炎の人」で晩年気が狂った画家フィンセント・ファン・ゴッホを演じた名優市村正親ですらも目だけは狂人には見えなかった記憶があります。
しかし今回の大竹しのぶは見事に目までも狂人を演じてくれたことで恐怖と共に感動も覚えました。アア、この目を見ただけでシアタークリエに来た甲斐があったと。