誰もが知る天下の大盗賊の石川五右衛門は、悪事も含めたその事績は実は不明な点が多く詳しい本当の所はわかっていません。ただ戦国時代に日本にやってきたポルトガルやスペインの宣教師が書いた文章やそのほかの史料の中に五右衛門の名前が確かにみられることからその実在は間違いないようです。実態がよくわからないもののそれだから尚のこと自由に発想を膨らませることができて江戸時代からお芝居や講談・小説そして落語にもよく取り上げられ、五右衛門は特に歌舞伎の上ではスターであり続けています。よく知られている粗筋は石川五右衛門が豊臣秀吉の命を狙うものの大阪城の秀吉の寝所に忍び込んだ所“千鳥の香炉”が鳴いて知らせたため捕らえられ京都三条河原で一人息子五郎市とともに釜茹での刑に処せられるというものです。 

平成3011月の歌舞伎座は、この五右衛門と真柴久吉(史実の豊臣秀吉)の対面を京都南禅寺山門前で描く“楼門五三の桐(さんもんごさんのきり)”でした。定式幕(じょうしきまく)が上がるとまだ浅葱幕(あさぎまく)があって舞台は見えませんがそこへ大薩摩の東武線太夫が三味線方の杵屋五七郎と共に現れ大薩摩の独唱が最前列に座る私のホントに目の前で披露されます。荘厳な幕開きの演出です。20年近く(地歌・長唄)三味線をやっていた私は、線太夫の大薩摩を耳にしながら五七郎の三味線の撥捌き(ばちさばき)をうっとりとしながら見入っていましたが、数分で終了して浅葱幕が落とされて舞台には南禅寺山門の楼門に上がった絢爛豪華な衣装を着た中村吉右衛門丈扮する石川五右衛門が現れます。悠然とした様子で桜が満開の京都市中を見渡しながら有名な「絶景かな絶景かな 春の眺めは値千金とは小せえ小せえ この五右衛門が目からは値万両万万両!」というセリフを吐きます。そこへ飛んできた一羽の白鷹がくわえてきた小袖に血で書かれた文章により自分の父親が真柴久吉に殺されたことを知ります。折からそこへ巡礼姿の尾上菊五郎丈扮する真柴久吉が通りかかり、それと察した五右衛門が手裏剣を投げつけますがこれを久吉が柄杓(ひしゃく)で見事に受け止め、山門の上と下で二人は対峙するところで幕となります。ほんの15分ほどのお芝居ですが、今後のこの二人の凄まじいせめぎ合いの展開を充分予感させる余韻を持たせたいい幕切れですね。 

南禅寺山門の楼上から下を見下ろす石川五右衛門と下からこれを睨み上げる真柴久吉はまさに一枚の動く錦絵のようです。ある歌舞伎通の方から伺った話ですが、昭和の初め頃当時人気絶頂の五代目中村歌右衛門の五右衛門と初代中村鴈治郎の久吉でこのお芝居が歌舞伎座で演じられた時、千両役者が二人ということで三階の大向こうから「ヨッ〆て二千両!」と声がかかったとのことです。 

舞台に出てくる南禅寺山門は赤や金色のド派手な色遣いで辺りは満開の桜ですから目にもまばゆいばかりです。数年前に京都南禅寺に行ったことがあります。歌舞伎の舞台のような極彩色の山門をイメージして行ったのですが、実際の南禅寺山門は古びた木の門が建っているだけで舞台と現実の落差に拍子抜けしたことがありました。

私は平成411月歌舞伎座で13代目片岡仁左衛門(平成690歳で没 当代仁左衛門のお父さんです。)の石川五右衛門でこのお芝居を見ています。上演当時88歳になっていた13代目はそのとき視力がほとんどなくなっていたのだそうです。それでもそれを観客に全く感じさせることなく山門の上で名セリフを吐き久吉の捕り方との立ち廻りも披露して素晴らしい演技を見せてくれたことがありましたが、歌舞伎はたとえ目が見えなくてもまた耳が聞こえなくても演目によっては長年培ってきた芸の力で十分その務めを果たせるもののようです。

ウーン、会計士さんとしての私は目が見えないあるいは耳が聞こえなくなったらアウトです。いまさら点字や手話をマスターしようというような気力は残っていませんし“芸の力”もありませんからね。

因みにその時13代目扮する五右衛門と立ち廻りを演じた捕り方が、今をときめく(それほどでもないか?)片岡愛之助(当時20歳!)でこのとき前名片岡千代丸から愛之助に改名したばかりでした。残念ながらそのときの演技はまったく印象に残りませんでしたが。