平成312月の新橋演舞場は松竹新喜劇と新派のコラボで(二代目)水谷八重子や波野久理子、藤山扇治郎などと共に客演に藤原紀香を迎えての、平成8年に93歳の天寿を全うして他界した現代屈指の劇作家北条秀司の傑作“華の太夫(こったい)道中”でした。

私は平成912月に新橋演舞場で藤山直美、小島秀哉、名高達郎などの役者によるこのお芝居(当時の題名は“太夫さん”)を見た時はこれまで千数百本の観劇の中でもベスト10に数えるほどの素晴らしい舞台でしたので、今回もかなり期待してホントに期待して最前列の席に座ったのです。

粗筋は終戦から数年後京都島原遊郭の古いしきたりを守る宝永楼に兄に連れられて身売りの為きみ子(後の喜美太夫)がやって来るのですが、兄妹とは偽りで実は経済的に苦しい夫が身重の妻を持て余して宝永楼に預けに来たのです。きみ子は必ず夫が将来迎えに来てくれるものと信じて花魁(おいらん)になるべく辛い修業に励みますが、とうとう2年後の晴れの花魁道中のその日に今は会社経営で成功した夫が、花魁になった喜美太夫(きみだゆう)の身請けにやってきて夫婦が感動の再会を果たすというものです。

昭和30年明治座での初演の際、喜美太夫を京塚昌子(平成664歳で没)が演じその後昭和36年まで6回に渡り京都南座や大阪歌舞伎座などの劇場でも勤めています。その後は曾我廼家鶴蝶や水谷良重が勤めていますが、平成9年の新橋演舞場での藤山直美の喜美太夫があまりにも素晴らしかったので彼女以外にこの役は考えられないほどです。私はもちろん見ていませんが、イメージとしては(昭和40年代テレビドラマ“肝っ玉母さん”で人気になった)京塚昌子の喜美太夫も悪くなかったかもしれません。

ところが今回は喜美太夫を演ずる藤原紀香の“役者が完全に不足”だったのです。歌舞伎俳優片岡愛之助夫人の藤原紀香は、テレビや舞台にもそこそこ出てはいるものの、当然と言うべきか藤山直美とは演技全般・存在感においても比べ物にならないぐらいに劣っており作品全体をつまらないものにしてしまいました。お芝居が始まってすぐ彼女の演技を見て“アラララ、だめだこりゃ!”と感じましたが、案の定ついに最後まで全くダメでした。

藤原紀香ファン御免なさいね。私一人がそう感じただけかもしれません。でもね・・・

私の左隣に座った50代の紳士がその隣の40歳ぐらいの女性(どうも夫婦ではないようでしたが)に対して幕間(まくあい)の時間に歌舞伎をはじめとした演劇全般について分かりやすく解説して差し上げていましたが、やはり藤原紀香の演技は酷評していました。

曰く 花魁(おいらん)姿がなってない。昔「コウメ太夫」という三流お笑い芸人がいたがそれに似ていて、さっぱり太夫の品格が伝わってこない。

曰く 花魁道中の歩く姿も全くなってない。あんな歩き格好じゃあないんだ、花魁道中は。亭主の片岡愛之助はなぜしっかりと教えてやらないんだ。

曰く 梨園の妻になって着物を着る機会が格段に増えたにもかかわらずどう見ても銀座のクラブホステスにしか見えない。それも二流の。

曰く 花魁や梨園の妻には全く向かない顔・形をしているんだから尚更努力して芸を磨かねばならんのにそれをやってない。

曰く ミスキャストの最たるもんだ。せっかくの北条秀司の傑作芝居全体を壊したとしか言いようがない。

いやはや隣に座った私が聞いていて藤原紀香に同情したくなるほどの、けちょんけちょんな物言いでした。でも実際はその通りかもしれないのです。

この50代の紳士の解説が続きます。

松竹新喜劇も新派も自分たちだけではお客を呼ぶことに限界があると感じているのだと思うが客演に有名女優を迎えてお芝居を構成する(まあ辻褄を合わせると言うべきか)ことがままあるんだね。両劇団共に残念ながら主役を張れる実力も美貌も兼ね備えた女優がいないからね。これは致命的なことなんだ。いまだに今年80歳になる水谷八重子や70歳を超えた波野久理子が主演女優をつとめることが多くこれに代わる女優が育っていないのが現状なのさ。そこで仕方なく外から有名女優を引っ張り出すんだろうけれどやはり映画やテレビと違って、舞台の場では実力の伴わない人気だけの女優は芝居全体を学芸会レベルに下げてしまうことが多いと思う。その点 平成912月新派公演の際に藤山直美が喜美太夫を勤めた時はその実力で素晴らしい芝居に仕上げてくれたが、そのせいで新派の役者たちの存在が完全にかすんでしまい直美の独り舞台のような様相だった。おそらくそのせいだと思うがその後に新派は藤山直美を客演として呼ばなくなった。

イヤーこの紳士も私が見た平成912月の“太夫さん”を新橋演舞場で見ていたのかと嬉しくなりました。そして日ごろ私も考えていることを易しい表現で隣の女性に解説してくれていたのを聞かせてもらったことは幸運だったと思っています。もしかすると私が知らないだけで実は高名な演劇評論家だったのかもしれないなと思いながら、芝居はダメだったがこの解説を聞いただけでも新橋演舞場に来た甲斐があったと思い直したのでした。