役者さんはおそらくは自在に涙を流せるもののようです。演技をする上で涙は大変重要な役割を演ずるのでそれの訓練をしているのでしょう。 一口に涙といっても滂沱たる涙から目を潤ませる程度まで実に様々なバリエーションがあり、これを上手にコントロールするのはそうたやすいことではないはずです。

平成20年6月の明治座は“剣客商売”でした。病気により降板した藤田まことさんに代わって急遽主役を務めることになった平幹二郎さん扮する老剣客が無実の罪を着せられた実の息子のかわいそうな生い立ちを語るときの目が(涙ナミダではなく)程よく潤んでおりました。

5月の日生劇場は“越路吹雪物語”でしたが、ピーター扮する越路吹雪のマネージャーであり生涯の友であった岩谷時子を高畑淳子さんが演じました。昭和55年に57歳で亡くなった越路吹雪のベッドの前で大粒の涙と共に大量の鼻水までどっと高畑さんの鼻の両穴から流れ出たのです。びっくりしましたね。鼻水までコントロールできるんですかね。
ところが歌舞伎は所作事が中心なので実際に涙を流すことはあまりないようです。手や体全体を使って泣いている雰囲気を見せることに重きがおかれている如くです。

私は、映画はほとんど見ませんので外国の俳優や女優の顔は全くと言っていいほどわかりません。ぱっと見てわかるのはマリリンモンローとソフィアローレンとオードリーヘップバーンぐらい(古ッ!)でしょうか。それ以外はみんなおんなじ顔に見えますね。

ところで(私は見てませんが)映画「日曜はダメよ」一作で世界的なスターとなったメリナ・メルクーリというハリウッド女優の自伝「ギリシャ – わが愛」によれば彼女の祖父はアテネ市長、父親も国会議員で内務大臣という名家に生まれ、奔放な少女時代を送ったあと女優となり1967年(昭和42年)ギリシャにクーデターによって軍事政権が生まれるとそれに抗して戦い抜き、やがて1974年(昭和49年)軍事政権が倒れて社会主義政権が成立するや国会議員となり科学文化担当の大臣として入閣しました
あるアメリカのテレビ番組でインタビュアーの当時老練な記者として有名だったハリー・リーズナーが番組の終わりにふとこんなことを言うのです。

「泣いてみてくださいませんか?」と。

記者の思いがけない言葉にびっくりした表情を浮かべたメルクーリは、しかしすぐに持ち前の陽気さを取り戻し、お望みならとつぶやき、見ている人に対して「自分がまだ女優であることの証にもなるだろうから」と言って、静かに顔を伏せます。しばらく沈黙したあとでふっと顔を上げるとメルクーリの表情は悲しげに歪んでゆき顔に薄く涙が滲み始めるのです。そしてリーズナーに向かってこう言います。「私には恐ろしいことがいくつもあったし、ギリシャにも悲しいことがたくさんありました。ギリシャ人にとって泣くことは難しいことではないんです。」と。

波乱の人生を送ってきた彼女にとって涙を流すことくらいは、祖国の独立戦争のときに流された数多くの血や一家離散の際の修羅場をイメージするだけで充分ということだったのでしょう。

“私のお芝居礼賛パアト5”にも書いたのですが、子役の石川楓ちゃんも舞台上で大粒の涙をポタポタポタと流すときご両親が亡くなったことを想像するのだそうです。楓ちゃんのお母さんにお会いしたときお母さんが「私たち何度も楓に殺されているんです。」と言っていたのが思い出されます。
おそらく役者さんたちは自分にとって悲しいことを思い浮かべながら舞台上で涙を流すのだろうと思います。それも涙の量に応じて様々な自分にとっての悲しいことを用意しているのでしょう。

そういえばこの間、自分が手がけた重要法案が国会をようやく通過したことに感極まった大臣が涙を流すシーンがニュースで繰り返し放映されましたが、もしかするとこの政治家、自分が落選したときのことを思い浮かべながらの演技だったのかしら?とよからぬことが頭をよぎりました。

涙といえばこんなことがありました。平成20年4月歌舞伎座で「熊野(→ゆやと読みます。)」
というお芝居を見たときです。昭和30年2月に初演されたお芝居でしたがあまり公演されることがなかったので私は初めての観劇でした。坂東玉三郎扮する熊野姫(→ゆやひめと読みます。)が母親が病気だからとお仕えする片岡仁左衛門扮する平宗盛に宿下がりを願うのですが、大事な宴があるからと拒否されるのです。筋書本を読むと確かに悲しい場面ではありますが、高校時代に古文や漢文で習ったような(日本語とも思えないような)台詞が飛び交いわかりにくいことこの上ありません。ところが舞台がつまらなかったというわけでは決してないのに、クライマックスシーンでなぜか突然あくびが出そうになったのです。まさか最前列の席で大あくびをするわけにもいかずやっとの思いでかみ殺したのですが、あくびをすると涙が出ることがあります。そのときもそうだったのです。ちょっと目に涙がたまったのでそっとハンカチで両目を拭いたのです。

ところがそのお芝居が終ったとき右隣に座っていた80代と思しき和服を着こなした品のいいご婦人から「歌舞伎はもうお長いんですか?」と声をかけられました。びっくりして「いえほどほどですが。」と答えたところ、「私はこのお芝居を見て泣けるようになるまで(5本の指を広げながら)50年!かかりました。あなたはその年のお若さで涙を流せるなんてよほどこのお芝居の理解が深くていらっしゃるのね。」とおっしゃるではありませんか!
まさか「いえあくびをかみ殺しただけです。」とも言えずあいまいな笑顔を作って早々に席を退散いたしました。

“勘違いここに極まれり”という、コントのようなワンシーンでした。