( “ 怪談 牡丹灯籠 ” その一 )

お芝居好きの誰もが知る怪談ものと言ったら“東海道四谷怪談”と“真景累ヶ淵”そして“牡丹灯籠”でしょうか。江戸時代末期から明治にかけて活躍した噺家三遊亭圓朝はその卓越した才能ゆえに師匠から嫉妬され高座に上がりにくくなったために新作落語の創作に没頭することになり数々の名作を生みだします。

中国明時代の小説集「剪燈新話(せんとうしんわ)」にある話を基に圓朝が作った最高傑作の一つ”怪談牡丹灯籠“は当初から人気を博し、それを素材にして河竹新七の手により明治25年「怪異談牡丹灯籠」として歌舞伎座で初演されました。

江戸時代から明治時代にかけて多くの人々は実在としての幽霊や妖怪の存在を信じていました。しかし圓朝は気の迷い、神経的なものであるとしてそれらを否定し人間の欲こそが恐ろしいのだという観点からこのような怪談話を作っており、背筋の凍るような話でも因果応報の筋立てに観客が共感を覚えるようになっています。つまり落語や歌舞伎の劇場を出た後なんとなく納得がいき、しかも人間の物欲・色欲にはどこかユーモラスなところもあるのでそれを上手にお芝居に取り入れることにより笑いを生み出して“幽霊出現という緊張”から一瞬解き放たれる場面もあるので(欧米のホラーものにありがちな気持ち悪さを引きずることなく)後味のいい帰路につくことができるのが日本の怪談話ではないかと私は考えています。

三遊亭圓朝が作った“怪談牡丹灯籠”はその後河竹新七や大西信之などの脚本家により様々な展開が新たに付け加わり役者が二役早替わりを演じるケレンなどお客さんを楽しませるための工夫が凝らされるようになって、圓朝の原作とはずいぶんと異なる筋立てとなる場合が多いようです。私は歌舞伎座で平成88月以降4回このお芝居を見ていますが、それらの筋立てもすっかり同じではありませんでした。また三遊亭圓生さんの落語でも牡丹灯籠をCDで繰り返し聞いていますが、やはり歌舞伎とは少し違うものになっています。

平成277月の歌舞伎座の舞台の粗筋は、浪人荻原新三郎に一目ぼれした旗本の娘お露が焦がれ死に(この表現ももはや死語ですね。)をしてしまいお付きの女中お米もその後を追うように死にます。そして幽霊となったお露とお米は毎夜新三郎の家に牡丹の柄をあしらった燈籠を手にしてカランコロンと下駄の音を響かせながら通い逢瀬を重ねますが、新三郎の顔に死相を見て取った新番隨院の和尚が幽霊除けのために家にお札を貼り純金の海音如来像を新三郎に持たせます。そのため家に入ることができないお露とお米は新三郎の下男の市川中車扮する伴蔵に100両という大金を渡してお札を剥がしてもらい海音如来像も瓦で作った不動像にすり替えてもらいます。そうしてお露は新三郎の家に入り翌日の朝、(多分お露の)骸骨と抱き合ったままの新三郎の死骸を見て伴蔵は仰天するのでした。

大金を手にした伴蔵はそれを元手に生まれ故郷で関口屋という荒物屋を開くとこれが大当たり、生活が裕福になって連れ合いの坂東玉三郎扮するお峰に隠れて市川春猿(当時)扮するお国と浮気を繰り返します。しかしこれがお峰に知られるところとなりすったもんだの末に伴蔵はお峰を惨殺してしまいますが、その後川の中から白い手が伸びてきて伴蔵を川の中に引きずり込んで幕となります。殺されたお峰がすぐ幽霊になって伴蔵に復讐したんですかね、早っ!

この他のストーリーも紹介しますと、新三郎とお露そして伴蔵・お峰の展開は同じですが、それに加えて伴蔵の浮気相手お国は実はお露の父親で旗本飯島平左衛門の妾だったのです。お国といい仲の宮野辺源次郎と一緒になって邪魔になった平左衛門を殺してしまいますが、平左衛門の忠義の若党幸助がその仇討ちを行うというものもあり、平成149月の歌舞伎座ではそのようなストーリーとなっていましたが“牡丹灯籠”という怪談からは随分と違う印象のお芝居になったような気がしました。