壬生菜(みぶな)や賀茂茄子(かもなす)、九条葱(くじょうねぎ)といった京野菜は

ブランドにもなっており一般の野菜に比べて驚くほどの高値で取引されているようです。

新緑の京都を旅行し嵐山で人力車に乗ったときN車夫が「京都は水の都ともいわれておりその豊富な水が野菜の栽培に適しているから京野菜という独特のおいしい野菜ができるようになったのです。水の都とは東にある琵琶湖だけでなく京都の地下には膨大な地下水脈があっていわば京都は水の上に成り立っている都なのです。」と説明してくれました。

ところがその翌日今度は貸切タクシーに乗ったときM運転手が地質学者を乗せた時の話として次のような京野菜にまつわる話をしてくれました。「“鳴くよウグイス平安遷都”の794年から京都は“いいころ人は殺し合い”の1156年の保元の乱や“ひとの世むなし”応仁の乱1467年そして明治元年の鳥羽伏見の戦いなど多くの戦乱に見舞われ、京都というごく狭い地域の中で膨大な数の戦死者を出していることのほかに千年以上にわたって多くの死骸が街中や郊外を問わずそのまま野晒しになっていたのだそうです。観光地で名高い嵐山近くの念仏寺で知られる化野(あだしの)はかつて風葬の地として知られ人間の死骸が普通にあちこちに転がって腐るに任せていたのだそうです。また平安京の正門ともいうべき羅城門は治安の悪化とともに引取り手のない人間の死骸を捨てていくことが常態化したと今昔物語に書かれています。“人間の死骸は土中の微生物にとって最高の栄養素になる!”のだそうで、しかもその微生物は土壌にとっても人工的な肥料を加えるよりもはるかに野菜作りの上でいい土になるのだそうです。千年という長きにわたり人間の死骸という栄養素を豊富に取り込んで活発化した微生物のおかげで京野菜が出来上がったのです。」ということでした。

そういえば昔に親から聞いた話で「昔はみんな土葬だったのでお寺の周りの田や畑は収穫も多く、柿の実もよくなっていた。人間の死体というのは最高の肥やしということ。」というのを思い出しました。さらに昭和20年3月10日の東京大空襲では約10万人の人々が亡くなっていますが、多くの人が迫りくる炎から逃れようと隅田川に飛び込んで命を落とした人も多かったそうです。隅田川の魚がこの人間の死骸を食べたせいで急に大きくなり数も増えて終戦の年の食糧難の時に隅田川の多くの川魚が空腹の東京都民の腹を満たしてくれたともいわれています。(こちらはいわゆる都市伝説の類かもしれませんが。)

こう考えると有名な京野菜も、千年という単位での人間の死骸の上に成立つブランドなのかと、京都の老舗旅館で有難くいただこうとしたとき思わずまじまじと眺めて箸が進みませんでした。