“鶴八鶴次郎”は劇作家川口松太郎が昭和9年に発表した短編小説で翌昭和10年“明治一代女”他と共に第一回直木賞を受賞しています。そして昭和131月明治座で花柳章太郎の鶴次郎、水谷八重子(初代)の鶴八で舞台化されてその後も上演が繰り返され、映画化も何度もされる人気作品となっています。

私は平成7年と13年に新橋演舞場で中村勘九郎(18代目勘三郎)と水谷良重(2代目八重子)で観劇しており、さらに平成26年には当代勘九郎と実弟七之助で三度目の鶴八鶴次郎を見ています。実は当代勘九郎のお祖父さんの17代目勘三郎丈も昭和50年に鶴次郎を勤めていますがさすがにこの時はその舞台を見ていません。この時見ていれば中村屋三代にわたる鶴次郎を見ることになったのにと残念です。まあ当代勘九郎の長男勘太郎君が何十年後かに鶴次郎を勤める時がきっと来るでしょうからその舞台は是非観たいと思っています。その時が来るまで生きていられるかどうか・・・・。

粗筋は新内節の名コンビ(先代)勘九郎演ずる鶴次郎と水谷良重演ずる鶴八が、相思相愛にもかかわらず芸の上では常にぶつかりあいながら寄席では大人気を博します。(江戸時代に始まった新内節は哀調のある節にのせて三味線と共に悲しい女性の人生を歌い上げるもので昭和まで隆盛を極めたと言われています。)

しかしちょっとした感情の行き違いから鶴次郎と鶴八は新内のコンビを解消し、鶴八は料亭伊豫善の主人と結婚し、鶴次郎の方は酒に溺れせっかくの芸も荒れてしまいます。2年後うらぶれた場末の寄席にいる鶴次郎のもとに鶴八が訪ねてきます。夫の許しも得たのでもう一度新内のコンビを組んで舞台に出たいと迎えに来たのです。そして再び二人が出演した名人会では昔以上に芸が上がっていると観客の絶賛を浴びますが、楽屋に引き上げた鶴次郎は何故か鶴八の三味線にひどい難癖をつけたため激怒した鶴八と再び喧嘩別れしてしまいそれっきりとなります。

その晩居酒屋で一人酔いつぶれている鶴次郎を見つけた菅原謙治演ずる番頭佐平が、短慮を諫めると鶴次郎は本心を明かします。「俺はあの人に惚れている。覚悟の上で仕組んだことだ。仲良くしていたらあの人は芸の楽しさに引きずられて伊豫善を出てしまうだろう。俺ァあの人を(浮き草稼業の)芸道に引き戻して(伊豫善の女将さんという安定した)今の幸せを損ねたくなかったんだ。そうは思わねえか・・・そう思ってくれねえか、佐平」と絞り出すような声で心情を吐露します。(先代)勘九郎のこの切ないセリフは今でも耳に残っています。

筋書本の最後の二行にはそのセリフの後に“佐平は何も言わずに盃をさした。鶴次郎はそれを受け、やがて酔いつぶれた。凍てついた街角から流しの新内の声が悲しく聞こえてきた。”とありましたが、まさにこの舞台のラストシーンが鮮やかに蘇るような文章です。

テレビや映画のなかった江戸時代や明治・大正そして昭和の初めまで寄席は芸人たちがその芸を披露する格好の場所でした。落語や講談、浪曲、義太夫などなど様々な分野の芸人たちが腕を競い合い人気を博しました。人気芸人たちは自分たちのこの芸の人気がいつまでも続くものと信じて疑わなかったものと思いますが、やはりそこは浮き草稼業です。私は浪曲も大好きで特に2代目広沢虎造のファンですが、虎造は昭和13年に後楽園球場で独演会!を開くほどの大人気で長く一世を風靡しました。しかし今虎造節を聞いても(私は面白いと思うのですが)多分一般の人はそれほど面白いとは感じないのではないかと思います。時代にも取り残された浪曲は長い冬の時代を迎えているのです。浪曲に見切りをつけてお笑い芸人や歌手に転じた人も少なくありません。

講談の世界も同様で、最近でこそ神田松之丞改め神田伯山が人気者になってはいるものの講談師の多くはその芸を披露する場も少なく当然収入もあまり多くない様です。

本人の人気の浮き沈みだけでなく自分の選んだ芸事がいつまでも一般大衆の支持があるかどうかもわからないのです。それを本能的に悟っている鶴次郎が、自分が心底惚れている鶴八にはそのような不安定な芸道の世界に生きるのではなく安定した一流料亭の女将さんとして人生を全うしてもらいたいと願っての仕組んだ別離だったのです。その心情が観客の胸を打ちます。惚れ込んだ人のために自分を犠牲にするという川口松太郎ワールドここにあり!というような物語ですがこれも令和の御代の今となっては受け入れられ難いのでしょうかね。

芸事の浮き沈みというのは、公認会計士・税理士事務所を経営している私としてはちょっと身につまされるような話です。このごろ人工知能AIの急速な進歩により様々な分野の仕事がAIに取って代わられつつあります。将棋や囲碁の世界でも頂点に立った名人と言われる人ですらもAIにはかなわなくなってきているようですが、大会社の会計監査を行う公認会計士の業務分野にも、また税務会計による税金計算を行う税理士業務にもどんどんAIが進出してきています。これまで血の滲むような努力で獲得してきたスキルがAIによりいとも簡単に超えられてしまうのです。単純作業しかやらない公認会計士や税理士はいらなくなる時代もまもなくやって来るかもしれません。

今回“鶴八鶴次郎”の筋書本を読み返して、AIにはできないような、いわば“人間様”でないとやれない仕事をこなせる事務所だけが生延びる世の中になるのではないかということに思いが至り、ちょっぴり不安と戦慄を覚えたのでありました。