平成20年3月はシアタークリエ(旧芸術座)で森光子さん主演の放浪記を見ました。
大正9年(1920年)生まれの御歳88歳の方が20代から40代までを熱演するのですが、やはり年齢はごまかせませんね。顔の表情は乏しく、声にも張りがなくまた動きも少し緩慢なために、極貧の中から他人を蹴落としてでものし上がってやるぞというギラギラ感が薄れてしまったような気がしました。森光子さん主演の舞台は昨年4月と10月に二つ見ましたが両方とも今回の舞台同様持ち味のシャキシャキ感が感じられませんでした。そのときは不謹慎にも来年の放浪記公演まで大丈夫かいなとも思いましたが、何のそのという感じで平成20年の1月から3月までのロングランの舞台をこなしました。

あらすじをご存知の方も多いと思いますが、“花の命は短くて苦しきことのみ多かりき”という詩で知られる林芙美子という小説家が極貧の中からとうとう流行作家にのし上がるまでの光と陰、歓喜と苦悩を描いた菊田一夫の名作です。林芙美子という作家のサクセスストーリーとしてではなく陰の部分と苦悩に焦点を当てています。

森光子さん演ずる林芙美子は大正から昭和のはじめにかけて幼少のころ行商人の義理の父親と実の母親と三人で塒を定めることなく九州から中国地方をその日暮らしのように半ば放浪します。宿泊は全部木賃宿です。木賃宿をご存知でしょうか。キチンヤドと読むので今の大学生に意味を尋ねると「台所(キッチン)のついた宿のことですか」と答える人が多いそうですが、燃料代程度のごく安い宿賃で旅人を宿泊させた最下層の宿泊所のことで旅人が薪代(木賃)を支払って持参した米を自分で焚いたのです。明治大正時代から昭和20年代ごろまではどこの町にもあったそうですが、雨漏りや隙間風は当たり前の汚い部屋に10人20人という単位で雑魚寝をさせられボロ雑巾のような布団にくるまっているシーンは小説やお芝居にもよく出てきます。

20代の林芙美子もそのような木賃宿で暮らしながら小説を書き続け、とうとうその小説が世に出ることになったとき嬉しさのあまりその木賃宿のみんなの前ででんぐり返しをするのが有名でしたが、森光子さんの年齢を考え今回ついにでんぐり返しを封印し残念ながら万歳するシーンに改められてしまいました。

林芙美子はいつもタバコを手にしていた愛煙家だったそうですが、放浪記の舞台にもタバコを実際に吸うシーンが何回も出てきます。尾道の海岸でタバコを吸った際、どういう風の関係か、その煙が舞台の目の前最前列に座っていた私の顔のほうに一群となってスーッと漂ってきたのです。嫌煙家の私はタバコの煙は大嫌いなんですが、今回ばかりは別です。     あーらうれしやな!と(森さんは昔結核を患ったことがあるのも何のその)思わず大きく二回も深呼吸をしてしまいました。大女優森光子さんの肺から出た煙かと思うとあのパワーにあやかれそうな気がして嬉しかったですね。これも最前列中央に座っていた御利益ですよ。

貧苦と絶望と裏切りそして愛憎地獄の果てについに流行作家にのし上がった林芙美子は昭和16年にとうとう念願の豪邸を新宿の下落合に建てます。極貧時代が長かった林芙美子は食べることにこだわった作家でもありました。マイホームの台所で割烹着姿で一心にジャガイモの皮をむく最晩年(といっても46歳ごろ)の写真が残されています。料理をしているこの瞬間がもしかすると一番幸福なときだったのかもしれません。昭和26年6月心臓発作で47歳の若さで急死するまでの10年余り流行作家から滑り落ちる恐怖からか、林芙美子は何かに憑かれたかのように小説を書き続けます。ありあまるお金と名声を得ながら、その疲れきった姿を森光子さんは見事に演じきりました。ラストシーンは書くことに疲れ果て机にもたれて眠ってしまう林芙美子を見て、昔芙美子に陥れられた親友が「オフミあんた幸せじゃないのね。」とそっと語りかけて去っていくのです。3ヶ月のロングラン公演の最終盤で、高齢の森光子さんもきっと疲れきっていたはずです。演技ではなく本当にぐったりしていたのかもしれません。そういえばトーク番組であのままラストシーンの机に突っ伏したまま千秋楽の舞台の上で死ねたらこんな幸せはないと言っていましたが、わかるような気がしました。

このロングラン公演中の平成20年2月にはとうとう1900回公演という金字塔をうち立てていますが、熱心なファンはこの放浪記をおそらく何十回いやもしかすると百回という単位で見た方もいるかもしれません。そういえばこれまで歌舞伎座と新宿紀伊国屋ホールで盲導犬を連れた目の不自由な方が観劇に来ていて大変びっくりしたことを思い出しました。そういう観客は舞台上のしぐさや台詞がすっかり頭に入っていてキット目が見えなくても舞台上のお芝居が頭に鮮明に浮かんでくるのだろうと思います。この方は舞台を観に来る観客ではなく舞台を感じに来る“感客”、そして観劇ではなく“感劇”と呼ぶべきなのでしょう。私もそこの境地に達するまで何度も同じ演目を観続けたいと考えています。