( 時今也桔梗旗揚 )

NHKの大河ドラマ“麒麟が来る”の放映が新型コロナの影響で中断されていたのですが、先日やっと再開されました。天下の謀反人明智光秀の生涯を描くこの大河ドラマは、長い間悪役とされ続けてきた光秀に光を当てこれまでのイメージを変えることになるかもしれない興味深いストーリーになっているようです。誰もが知る主殺しの光秀はこれまでお芝居や映画、テレビドラマでたびたび取り上げられていますが、非道なやり方で天下をわがものにしようとした悪役でついには秀吉によって討たれるという悪いイメージに描かれることがほとんどです。

光秀を描いた歌舞伎で有名なものは、鶴屋南北作の「 時今也桔梗旗揚 → “ときはいま ききょうの はたあげ”と読ませています。」が文化5年(1808年)江戸市村座で初演されています。鶴屋南北の作品は東海道四谷怪談に代表されるようにおどろおどろしく内容も複雑で観ていて疲れる場合が多いのですが、この“時今也桔梗旗揚”は織田信長が明智光秀を理不尽にいじめぬいて遂には堪忍袋の緒が切れた光秀が謀反を決意するまでを描いたわかりやすい構成となっています。江戸時代のお芝居は幕府に遠慮して実名を使うことは憚られたので織田信長は芝居の中では小田春永、明智光秀は武智光秀と名前を変えていますが、江戸時代に歌舞伎を見る観客の知的水準は高かったので当然観客は実際は誰なのかをすぐ理解したはずです。

このお芝居は三幕の構成となっており、平成219月歌舞伎座公演の際の序幕“饗応の場”は戦国時代天下統一を目前にした中村富十郎扮する小田春永が朝廷より太政大臣の位を任命されることになりその勅使を接待饗応するため中村吉右衛門扮する光秀が懸命に立ち働きます。しかし春永はその一つ一つに難癖をつけ挙句の果てに自身お気に入りの小姓森蘭丸に鉄の扇によって光秀は眉間を割られることになります。この辺は必ず取り上げられる名場面ですが史実にはありません。

二幕目は中国毛利攻めを行うため京都本能寺に陣を構えた春永のもとに羽柴秀吉(芝居では真柴久吉)から届けられた花を生ける馬盥(ばだらい)で無理矢理光秀は酒を飲ませられる屈辱を受けたほか自分と妻の辛い過去を暴かれるなど数々の恥辱を与えられます。そして本能寺を下がる時にとうとう光秀は春永に対する謀反を決意するのです。

大詰めは愛宕山連歌の場で連歌の師匠里村丈巴が光秀に「今謀反を起こせば諸国の大半の大名は味方するであろう。」と囁きます。そこで自身が天下を取るぞとの決意を込めたあの有名な「時は今 天(あめ)が下しる 五月かな」と詠みます。そこへ駆け込んできたのが松本幸四郎扮する四王天但馬守で、たった今武智軍が本能寺の小田春永を討ち取ったと光秀に報告します。二人が顔を見合わせながら不敵な笑みを浮かべて幕となります。

当初光秀は信長の有能で忠実な家臣であったのが、信長による度重なる理不尽な仕打ちにその恨みを晴らそうと謀反を起こしたというわかりやすい展開が大衆の支持を受け芝居は大当たりとなります。しかし信長による仕打ちはそのほとんどが戯作者の創作であり史実で裏付けられるものはほとんどありません。“史実”というものはそれほど面白い事実が沢山あるわけではないので大筋は変えないもののそれに至る過程は観客に受けるように誇張や創作をすることは戯作者の腕の見せ所でもあります。そのため一旦悪役とされるやこれでもかこれでもかというとんでもない場面が創作されとことん悪役に貶められてしまうのですが、光秀も可哀そうにその一人となって本能寺の変以降400数十年もの長きにわたって悪役を演じさせられてきたのです。考えようによっては著しく名誉を棄損された被害者と言えるかもしれません。一般大衆はそれが事実かどうかを資料に当たって調べるなどということは当然しませんので目の前の舞台で演じられたことが事実だと思い込んでしまうのです。

そのような“被害者”の代表格は忠臣蔵の吉良上野介ですが、少しずつ見直しも始まっているようで喜ばしい限りです。史実はどうだったのかというよりもお芝居やドラマで作者の悪意を持って描いたこれまでと違って、悪役と言われてきた主人公に好意的な場面を取り入れて「えーそうだったのか!」「それって違うよね!」「なあんだ、これってしかたないね。」などと単純に観客に訴えかけるストーリー展開になっているお芝居が作られるようになってきているのです。吉良さんや光秀はあの世で少しは留飲を下げているでしょうか。