“ 一人芝居 化粧 ”

俳優一人だけで演じる一人芝居は、昭和元年築地小劇場で汐見洋がチェーホフの「煙草の害について」を演じたのが日本演劇界における先駆と言われています。昭和57年井上ひさし原作の“化粧”を渡辺美佐子が演じて成功を収めたことがきっかけで急増し、今ではイッセー尾形や白石加代子、梅沢富美男、毬谷友子、風間杜夫なども手掛けて人気を博しています。一人何役も演じ分けなければならない一人芝居は極めて難しい演劇だと思いますが手練れの俳優が演ずると別の人のセリフを発した瞬間に顔つきまで一瞬にして別人に変わったように見え、普通のお芝居を見慣れた観客としては新鮮な驚きを感じることがあります。

平成26年3月新宿紀伊国屋ホールでこの“化粧が”平淑恵により公演されました。このお芝居は大衆演劇の女座長が、うらぶれた芝居小屋の楽屋にある鏡を前にして舞台化粧を始めるところから幕開きとなります。時期はすでに大衆演劇が廃れていた昭和40年代後半ごろでしょうか、もろ肌脱いで舞台中央に座った女座長の前には本物の鏡はありませんが観客はそこに鏡があると想定して舞台を見守るのです。実際にはない鏡を見ながら化粧を本当にするのですからかなり難しいことだと素人ながら想像がつきます。私はこの日最前列ど真ん中の席に座ることができたのでまさに平淑恵(昭和29年生まれ、公演当時60歳)扮する女座長とほんの2m足らずの距離で対面するという幸運に恵まれました。1時間余りの公演時間の多くを使った化粧シーンが目の前で繰り広げられ、大衆演劇の役者の白塗りの化粧がすっぴんからどのように行われていくのかを視力の弱い私でもつぶさに見ることができたのです。それまでお化粧にあまり興味のなかった私は、舞台の上で全く違う顔に変わっていくのが怖くなるぐらいの驚きをもって眺めました。

本来化粧は他人に見せるものではないのですが、それをあえて舞台上で演じさせたことに井上ひさしさんの発想力の豊かさを感じます。そして化粧の手を緩めることなくセリフが延々と続くのです。舞台にいるのは女座長ただ一人です。そのため見えない相手役の表情や仕草さらには背景までも観客は想像力を働かせながら見つめることになるのです。

粗筋は、鏡に向かって化粧をしながら女座長の五月洋子がこれから舞台に向かう役者に檄を飛ばしたり、楽屋を訪ねてきた(五月洋子が昔捨てた実の子供の件でやって来た)テレビ局の社員の応対をしたりしますが観客の目からは本当にそこに役者がいるかのように感じられます。井上ひさしさん原作にしては平凡なお芝居かなと思って見ていると、しかし時々観客にとって理解不能なセリフや動きが舞台の上で展開し、あれっ?と不思議な違和感を覚えることがありました。五月洋子が楽屋で役者や来訪者と喋っているのに「どうして誰も出てこないのよー!」と声を荒げたり、ドドドドというコンクリートを砕くような音が聞こえてきたり、突然「五月洋子一座」と染め抜かれた旗や幟(のぼり)が倒れてきたりするのは一体何なんだろう?と訝(いぶか)しく思うのです。

実はこの芝居小屋は解体寸前というより、もう解体業者の手によって解体工事が始められていたのです。女座長五月洋子は自分の一座がすでに時代の流れに抗しえず破産状態になって最後の砦とも言うべき自分の芝居小屋も人手に渡って取り壊される現実を受け入れることができず一人楽屋に入って幻を見ていたのです。この1時間余りのお芝居は狂った五月洋子の妄想のなせるホントの“一人芝居”だったのです。このことを観客が理解した瞬間のぞっとした驚きと言ったらありませんでした。それまで平淑恵による素晴らしい一人芝居に見入っていたと思っていたら、狂人の妄想に付き合っていたのだと知った時の恐怖とその直後の感動に包まれ、万雷の拍手のうちに幕を閉じました。こういう場合一人芝居の演者は得ですね。万雷の拍手を独り占めできるんですから。残念ながら私は渡辺美佐子の“化粧”を見ることはできませんでしたが、平淑恵の熱演で充分堪能することができました。

“日常性の欠如”は恐怖につながることがあります。それまで芝居小屋の楽屋におけるありふれた“日常”が一瞬にしてそれは狂人の妄想だったという“日常性が欠如”した瞬間を通して観客に恐怖を感じてもらうという井上ひさしさんの構想力にこそ拍手を送りたい気分でした。終演後にこまつ座の女性職員に「あの五月洋子は幽霊だったんでしょうか?」と質問したところ即座に「井上先生は、狂人五月洋子という生きている人間でも、また現実にはあり得ない幽霊でもお客さんの想像力に任せようとしたようです。」との答えでした。

令和1年6月、今度は紀伊国屋サザンシアターで有森也実による“化粧”が公演され、こちらも最前列ど真ん中の席で見る事の出来る幸運に恵まれました。

(実際のところはわかりませんが)清楚な美人女優有森也実は昭和42年生まれで公演当時51歳、いつかのテレビ番組で「目下の悩みは老眼!」と言っていたことありました。前回同様すっぴんから役者の顔に変身する様をつぶさに見ることができたのですが、やっぱり美人女優有森也実とはいえ50歳を過ぎた女性のすっぴん顔が2m足らずの眼前にあると皺やたるみなどおばさん顔が迫ってくるようでちょっとがっかりしましたね。ただ自分の両太ももにも丹念に白塗りをする場面は、あんなに上の方まで塗るものなんだという驚きに加えて妙になまめかしかったのが印象に残っています。

この“化粧”は二度目の観劇でしたのでオチまでみんな頭に入っているため余裕をもって舞台を見ることができたのですが、うらぶれた芝居小屋の楽屋でもうなくなってしまった自分の一座を偲んで狂気に陥っていく様は、やはり実力的にまたイメージ的にも有森也実には向いていなかったような気がします。

大衆演劇の女座長を演ずる女優は美人じゃない方がいいのかもしれません。もう少し年齢がいっていてお顔もほどほど(?)の渡辺美佐子さん、平淑恵さんはピッタリでした。渡辺えりなんかもいいかもしれないと思いながら劇場をあとにしたのでした。