( 盛綱陣屋 その二 )
今回の“盛綱陣屋”にはもう一つ興味をそそられる点があります。それは子役の小三郎(佐々木盛綱の子)と小四郎(佐々木高綱の子)です。上演記録を調べると今回主演の仁左衛門丈が昭和28年1月大阪歌舞伎座で小四郎を演じたのが8歳でした。そして小四郎役は18代目中村勘三郎丈が勘九郎を名乗っていた昭和35年4月に5歳で演じ、その長男当代勘九郎がまだ本名の波野雅行を名乗っていた昭和61年1月に4歳で演じ(このとき盛綱役はお父さんの18代目勘三郎丈、小三郎役は当時新之助を名乗っていた当代海老蔵でした。)、平成5年4月には18代目勘三郎丈の次男七之助が9歳で演じました。(このときの小三郎役は兄勘九郎です。)
平成31年3月の今回の“盛綱陣屋”で小四郎を勤めたのが18代目勘三郎丈の孫当代勘太郎(本名七緒八くん)7歳です。後年人気役者となる人の多くがこの小三郎役や小四郎役を務めるが如くですから勘太郎君も頑張ってね。
5~6歳前後が演じる歌舞伎の子役は、セリフがみんな甲高い声の棒読みなんです。リアルにしゃべろうと思ってもそこは年端も行かない子供ですからどうしても上手にはできません。そこで歌舞伎の知恵なんでしょうか、わざと少しゆっくり目の棒読みにさせるのです。目の肥えた観客も子役のセリフはそのように決まっているものだからとその棒読みに全く違和感を覚えません。また子役が泣くシーンもリアルに演じるのではなく両掌を顔の前に出して顔だけを動かすのです。そんな仕草で泣く子供など実際にはいるはずもないのに、そのようにすると子供があたかも泣いているように見えるのですから不思議なものです。何百年という伝統に裏打ちされた子役の型(所作)が完成しているということです。
今回の盛綱陣屋で小三郎役を務めたのが当代尾上菊五郎丈の孫で女優寺島しのぶ長男寺嶋眞秀(まほろ)君6歳でした。父親はフランス人だそうで日仏のハーフですが小三郎を演じた眞秀君を私は初めて舞台で拝見しましたが全く日本人にしか見えませんでした。そういえば去年でしたか歌舞伎座の観客同士が寺島しのぶの話をしていたことがあってフランス人との間に生まれた子供を歌舞伎座の舞台に立たせるのはけしからんという内容だったのです。芸能界の事情に疎い私は寺島しのぶがフランス人と国際結婚したこともその子供が歌舞伎役者として舞台に立ったことも知りませんでしたので、興味を感じてじっと聞き耳を立てていたましたが要するに「歌舞伎は日本人だけが演じ切るべきで外国人は舞台に立たせるべきではない!」というような主張でした。大相撲を引き合いに出し「昔はハワイ・トンガそして今はモンゴルと、“神事”を理解しようとしない出稼ぎ根性の外国人力士が腕っぷしに物を言わせてプロレスと何ら変わらない感覚で日本の国技大相撲を席巻しているのは悲しくてやりきれない。ゼッタイ歌舞伎だけはあのようになって欲しくない!」と結んでいたと記憶しています。
眞秀くん、このような歌舞伎ファンも確かに存在しているということを忘れず芸に精進してください。お祖父さんは七代目菊五郎丈、お祖母さんは富司純子、叔父さんは菊之助そしてひいおじいさんは昭和を代表する歌舞伎役者六代目菊五郎丈ですから役者としての素質は十二分に受け継いでいるはずです。凄まじい精進と努力の結果としての芸の力でうるさい外野は黙らせるのです。
私のいとこの一人はユダヤ人男性と結婚して一女をもうけました。この娘の顔は父親似で髪の毛や目の色も含めて日本人離れしているため田舎の小学校のことで随分と辛い経験もしたようです。小学生というのはあまり認識もせずに残酷な物言いや振舞いに及ぶことがありますが、ある時この娘に向かって「これガイジン、英語でしゃべってみろ!」と言ったのだそうです。そのとき「英語でしゃべってみせっから、英語で聞いてみろ」と切り返したということでした。眞秀くん、オーキナお世話もいいとこかもしれませんが、時としてこのように強い返しも必要かもしれませんよ。
15代目市村羽左衛門(昭和20年5月没)はフランス生まれのアメリカ人と日本女性との間に生まれたハーフでしたが、その芸の力で戦前六代目菊五郎丈や初代吉右衛門丈と並んで多くの歌舞伎ファンを引き付けました。前例はあるのです。がんばれ眞秀くん!