( “紙屋町さくらホテル” その三 )

このお芝居の登場人物で実在の人物は俳優丸山定夫、園井恵子そして海軍特命戦力査閲使として断末魔の日本に抗戦能力が残っているかを調査した長谷川清海軍大将の三人です。移動演劇隊のさくら隊が昭和2086日広島で原子爆弾により全滅したのも事実です。(ただし長谷川大将が広島でさくら隊と交流があったという事実はありません。)しかしこの“紙屋町さくらホテル”というお芝居を見ると、(あまりメジャーな俳優は出演しなかったのですが)大島明治大学助教授も針生陸軍中佐も戸倉特高刑事もみんな実在の人物でお芝居の中の紙屋町さくらホテルでのセリフを現実に発していたドキュメンタリーではないかと錯覚するぐらいにリアルな舞台でした。

敗戦間近の日本でいい演劇を観客に披露したいと奮闘する丸山や園井などさくら隊隊員と共に、身分と密命あることを隠してさくら隊に参加しそれぞれの使命を全うしようとする人たちの中で、大学の優秀な教え子を(九死一生ではない)十死零生の体当たり攻撃により志半ばで、いや人生が始まったばかりで死なせねばならなかった大島助教授の苦悩が観客の胸を打ちます。教え子津田克太郎の遺品の手帳の中に残された出撃直前に書かれた遺書となる文章を大島助教授が皆の前で読むシーンです。

「昭和191029日午前1時半出撃命令・・・・< 途中略 >・・・・僕は、このわずかな生の時間を自分が今一番したいことをして過ごすことにしました。それはお父さんお母さんのお顔を思い浮かべることです。お父さんお母さん何か言ってください。・・・・< 途中略 >・・・・いつもいつも浮かんでくるのはご両親様のお顔です。おとん、おかん!なにか言うてくれんさい。おとん、おかん!なひて黙っちょるんじゃ、おとん、おかん、おとん、おかん、おとん、おかん・・・・・と、手帳の最後までびっしりと書き込まれております。はじめはご両親様ついでお父さんお母さんとよそ行きの言葉を使っているがそのうちに思わず普段のようにおとんおかんと叫んでしまった。そのときの津田君の胸中を思うと不憫です。これは殺される寸前両親に向かって助けを求める子供の叫びです。子供たちをこんな目に合わせて守らねばならない大義が国家にあるのですか。」

このセリフを語った大島助教授を演じた俳優が久保酎吉という昭和30年生まれ千葉県出身の俳優です。舞台のほかにテレビや映画などにも出演しますがもちろん主役級ではなく手練れの脇役です。自分の名前に焼酎の“酎”の字をつけているのがおかしくてちょっと注目していたのですが、久保さんが数々演じた役の中で最も素晴らしい役どころの演技だったのではないかと感じられるぐらい鬼気迫る演技でした。つくづく芝居というものは主役だけでできるものではなく実力のある脇役が揃ってこそいいお芝居になるという見本でした。いやもしかすると久保酎吉さん扮する大島助教授こそがこの“紙屋町さくらホテル”の主役だったのかもしれません。

因みに昭和191029日に出撃した特攻隊員の名簿の中に津田克太郎という名前の搭乗員はいなかったのでこれは井上ひさしさんの創作だったのでしょう。ただ似たような話や遺書はきっと数々あったのではないかと思われます。

このような悲しい思いをすることなく過ごすことのできる平成・令和の御代に感謝せずにはいられません。

“紙屋町さくらホテル”という戯曲は、数ある井上作品の中でも私にとってはベスト3に入るものだと思っております。機会あれば是非観劇をお勧めします。