( “盲目物語” その六 )
夫勝家から北ノ庄城を落ち延びるようにと強く言われたお市の方でしたが、三人の娘たちだけを逃がし自身は夫と共に自害して果てます。弥市はお城に火を放ち、同じ死ぬならお市の方と一つ炎に焼かれたいと願ったところ突然誰かはわからないが「弥市、このお方を下へお連れ申せ。」と言われてお茶々を肩の上に乗せられるのです。その瞬間何としてもお茶々様を助けねばという強い思いと、自身の生きることへの欲望が噴出します。
この場面を小説では
「背中の上にぐったりと凭(もた)れていらっしゃるお茶々殿のおん臀(いしき→要するにお尻です。)へ両手を回してしっかりとお抱き申し上げました刹那、そのお身体のなまめかしい具合がお若いころの奥方にあまりにも似ていらっしゃいますので何とも不思議な懐かしい心地が致したのでございます。」
という谷崎文学独特の女人礼賛・官能美の面目躍如たる筆致で表しています。
歌舞伎“盲目物語”では焼け落ちる北ノ庄城から弥市はお茶々の手を引いて逃げる設定になっているのですが、小説の方は背中におぶって城外に逃れる文章になっています。北ノ庄城落城の折のお茶々の年齢は13歳ぐらいでしたから手を引かれて逃げることもおかしくはありませんがやはり落城という大混乱のさなか屈強な男の背中に背負われて逃げる方が自然です。ある程度成長した女性になっていたはずのお茶々のお尻を両の手でしっかりとつかんだとき、30歳前後の設定の弥市の男としての煩悩に火が付くのはやはり自然なことと納得いきます。歌舞伎“盲目物語”は、ちょっとお上品に原作を手直ししてしまいましたかね。ここはやっぱり手より“お尻”ですよ、ハイ。(下品ですいません。)
お茶々を背負った弥市が秀吉の陣にお茶々を無事送り届け、秀吉の計らいでこれまで通りお茶々のおそばに仕えることができるようになったものの北ノ庄城落城の折お城に火を放ったのが弥市だと知ったお茶々から次第に疎まれるようになり「この座頭弥市ゆえに惜しからぬ命を助けられて親の仇(秀吉)の手に渡された。」とまで言われてしまい、逃げるように暇乞いをすることになるのでした。つまり歌舞伎のようにお茶々の手を握ってお市の方を思い出し錯乱状態になった弥市を見て恐怖のあまりお茶々が逃げ出したという緊迫の場面は、原作小説にはない歌舞伎の演出だったのです。
お茶々と弥市が離れてしまう理由は、物語としては歌舞伎の狂乱場面の方が観客に訴えかけるインパクトは強いと思いますが、現実的には谷崎の小説のような展開が自然ですね。
お茶々のもとを去った弥市はその後は按摩揉み療治で細々と生計を立てながら生き永らえ、とうに別世界の人となった淀の方の出世を陰ながら喜び、そして秀吉や淀の方さらに豊臣一族の最後も耳にします。さぞや諸行無常を感じたことでしょう。
弥市が名も知らぬ客の揉み療治をしながら近江小谷城時代からこれまでの自身の経験を語り続けるという体裁になっている小説“盲目物語”は、次のような文章で終わります。
「つまらぬ老いの繰り言を長々とお聞かせいたしました。家には女房も居りますけれども女子供にこうまで詳しく話したことはござりませぬ。どうぞどうぞこういう哀れなめくら法師がおりましたことを書き留めて下さいまして後の世の語り草にして頂けましたらありがとうござりまする。あまり更けませぬうちに少しお腰を揉ませていただきます。」
弥市は落ちぶれ果てた上それこそ哀れな最期を遂げたのかと勝手に想像していましたが、なんと連れ合いと子供にも恵まれていたのだということが小説の最後の最後に知れて後味のいい作品に仕上がったような気がします。
歌舞伎“盲目物語”のラストシーンは何度も書いたように昔を懐かしんだ弥市が琵琶湖畔で三味線を弾くと琵琶湖の上にお市の方の美しい亡霊が現れて琴を連れ弾くという幻想的なものでしたが、あれも原作にはない歌舞伎の見事な演出だったのです。
文豪谷崎潤一郎と歌舞伎の演出の両方に脱帽!
あゝ、18代目勘三郎丈と当代玉三郎丈で、また歌舞伎“盲目物語”をこの目で見たい!が「もはや叶わぬ夢にござりまする。」と座頭弥市調に“その一”から続く(だらだらと)長い文章を締めくくることにします。