( “ 夫婦善哉 ” その一 )

放蕩(ほうとう)息子と呼ばれる人は遠い昔から存在し、落語や小説にもよく取り上げられました。昭和15年に発表された放蕩息子を題材にした短編小説“夫婦善哉(めおとぜんざい)”は無頼派作家の織田作之助が本格的に世に出るきっかけになった代表作品で、柳吉・蝶子を主人公としたこの物語は発表当初から人気となりその後、映画や舞台にもたびたび取り上げられました。

“夫婦善哉”という題名は大阪法善寺横丁に実際にあるぜんざい屋さんの名前からとられているのですが、この店で善哉を注文すると二つのお椀に善哉が盛られて運ばれて来るため夫婦善哉と名付けられカップルで食べると円満になれると言います。舞台のセリフに「一椀でなしに二つのお椀に入って持ってこられるとなんか得した気分になるやろ。」というのがあって、そのいかにも大阪人的な発想に納得した記憶があります。二椀で一人前なのでお金をケチって二椀を二人で一椀ずつ食べると縁起が悪いと言われていますが、それは店の人が売上を上げるための方便でしょうね、なーんたって大阪の店ですから。

何年か前にこの法善寺横丁の「めおとぜんざい」の店に行ったことがあります。10人も入れば満杯になりそうなそう広くはない店ですが、歴代の柳吉・蝶子を演じた森繁久彌・淡島千景をはじめとした役者さんたちのパネル写真や色紙などが沢山飾られてあり、舞台や映画で見慣れた店内が現実に目の前に広がったとき田舎者の私は感動を通り越して半ば呆然と店内に立ち尽くしました。

因みに善哉という表現は、関西では粒あんの汁を丸餅にかけたものを言い、漉しあんの汁をかけたものをお汁粉と呼ぶそうですが、関東では角餅に粒あん又は漉しあんをかけたものを区別せずお汁粉と表現するそうです。宮城県でも善哉という表現はあまり使われずお汁粉という場合が多いと思われます。

善哉の語源としてはこれを最初に食べたと言われる一休さんがそのあまりのおいしさに「善哉→よきかな!」と叫んだことから命名された(諸説あり)と伝わっています。「善き哉」とは仏が弟子を褒める時に使う言葉なのだそうでサンスクリット語の“素晴らしい”を意味するものの漢語訳だとのことです。桂米朝さんの落語にも福を授けに来た仏様が帰って行くとき「ぜんざい、ぜんざーい」と唱えながら消えていくという場面があります。

私はこの“夫婦善哉”を舞台や映画、テレビドラマで何度も見ましたが、舞台では平成172月新橋演舞場での沢田研二と藤山直美主演のものが秀逸だったと思います。

粗筋は、大正から昭和にかけての大阪を舞台にして人気芸者でしっかり者の蝶子が妻子持ちで優柔不断、遊びにかけては天下一品だが生活能力のない化粧品問屋の若旦那柳吉と東京に駆け落ち(この言葉もあんまり使われなくなりましたね、最近。)しますが関東大震災で命からがら大阪に戻ります。実家から勘当されているために援助は期待できず生活のために様々な商売に手を出しますがうまくいきません。そのたびに蝶子の獅子奮迅の奮闘で切り抜けますが、柳吉が病気になってしまい、その医療費工面のために実家に援助を申し込みに行きます。しかし柳吉の妹筆子が婿養子を取り化粧品問屋の家業を継いだために冷たく追い返されてしまいます。蝶子の働きで何とか病の癒えた柳吉は洋風居酒屋をはじめたところに実の父親危篤の知らせが入ります。その際のドタバタの後二人は法善寺横丁のぜんざい屋「めおとぜんざい」で仲良く夫婦善哉をすすり、自分より年下の蝶子に向かって「これからもしっかり頼んまっせ、おばはん。」と感謝の念を伝えて幕となります。

ダメ男が自分に尽くしてくれる惚れた女に向かって吐くこの最後のセリフは、森繁久彌や沢田研二、藤田まことなど様々な俳優で聞きましたが、昭和30年公開の映画“夫婦善哉”における森繁久彌扮する柳吉が淡島千景扮する蝶子に対してのセリフが感動するほどに実感がこもっていて上手でした。ちょっとした顔の表情やセリフの抑揚と間など森繁を超えるこのセリフを吐いた役者はいないように思います。