( 狐と笛吹き )

日本の民話や説話集には狐や狸などが人間に姿を変えて、いたずらをしたり受けた恩を返すという物語が沢山あります。“狐は七化け狸は八化け”と言って狐の方は一化け少ないようですが、狸の方がどこかユーモラスで人間に愛される物語が多いような気がします。さらに人間と結婚するという話も少なからずあり落語や歌舞伎にもよく取り上げられています。異類婚姻譚(いるいこんいんたん)と称され、恩を受けた人間に恩返しをしようと人間に化けて結婚までしてしまうのですが、契りを結ぶとその動物は死んでしまうという言い伝えにより悲恋の物語の構成にする場合もあります。

平成93月の歌舞伎座昼の部における“狐と笛吹き”も、平安時代の設定で命を助けられた子狐が、助けてくれた笛吹きの男が最近愛妻を亡くしたことを知りその愛妻そっくりに化けて笛吹きのお世話をするという物語で、北条秀司が今昔物語集から題材を得て歌舞伎俳優のために書いた第一作目と言われています。四季の移ろいを舞台上で巧みに使い、子狐と笛吹きの春方(はるかた)との出会いの春、恋の予感の夏、愛の確認の秋、そして掟を破ってしまった冬とビジュアル的にも幻想的でロマンチックな物語が展開していきます。

粗筋は、

春 < その一 真葛が原の森の中 >

平安時代宮中で音楽を奏でる楽人の(市川染五郎扮する)春方は先ごろまろやという愛妻に先立たれますが、ある日友達が母子狐を捕まえたのを見た春方が妻の命日だから命を助けてくれと懇願し狐を逃がしてやります。あくる日春方の家にともねと名乗る死んだまろやにそっくりな女性が現れ春方と一緒に舞を踊ります。

夏 < その二 春方の家 >

春方の親友の秀人が訪ねてくるのですが二人は間もなく行われる豊明節会(とよあかりのせちえ)の奏でる笛吹きに選ばれるかもしれないライバルでもあります。まろやの幽霊がそれを知って毎晩春方のもとに笛の稽古を手助けしようと琴を弾きにやってきます。それを知ったともねは泣き出し帰って行きます。

秋 < その三 森の中 >

森の中でともねは春方に対し「自分は先日助けてもらった子狐で母狐の言いつけで春方のお世話をするうちに愛してしまうようになったが、狐が人間と契ると死んでしまうので夫婦になれない。」と告白します。

冬 < その四 春方の家 >

笛の稽古を重ねてきたにもかかわらず豊明節会の笛師の選に漏れてしまった失意の春方に対し、決して結ばれることのないともねは自分の辛さを伝えると、死ぬなら一緒に死のうと春方はともねを抱き寄せとうとう契りを結んでしまいます。

  <その五 明け方近い森の中 >

家からいなくなったともねを、髪振り乱して探す春方は森の木の下に小袿(こうちぎ)を着た小さな狐の死骸に気づきます。ともねの変わり果てた姿に春方は頬を寄せ、琵琶湖に二人で沈もうと笛の音が聞こえるなか子狐の死骸を抱えて歩き出すのでした。

ギリシャ神話やグリム童話にも異類婚姻譚がありこれは世界共通の主題になっていることを示しているようです。日本の異類婚姻譚はほとんどの場合、やってはいけないことをしてしまいその掟や約束を破った結果として夫婦関係が破綻に追い込まれるパターンが多いようです。誰もが知る“鶴の恩返し”はその代表格と言えましょうか。

 “狐と笛吹き”の作者北條秀司は「私は今昔物語集に示された超自然的な世界に心惹かれる。私は今昔物語を寝そべって読む。そして説話の一つ一つから自分勝手な白昼夢を拡大させて何倍かの楽しみに自分を陶酔させることを楽しむ。」と書き残しています。

文章を読むだけでイメージが勝手に頭の中にドンドン広がってそれが陶酔にまで至るということですから、これはもう天性の才能とも言うべきでしょうか。およそ物語り好きは映画や舞台のようにビジュアル的な手助けを借りる事なく、文章を目で追ったり耳で聞いたりするだけで物語の展開が瞬時に頭に浮かび、容易にその世界に浸ることができるようになっているものの様です。これは幸せなことと言わねばなりません。

新型コロナのせいで舞台を見ることが叶わなくなっている今日、過去に見たお芝居の筋書本を読んではさらに物語のイメージを膨らませることに磨きをかけようと思っています。“陶酔”にまでは到底至りませんが。