“ 俊寛 その一 ”
歌舞伎の演目には源平合戦を描いた“平家物語”から取られたものが多く、登場人物がほぼ実名で出てくるのでこの物語の知識があると芝居の理解がより深まります。今から40数年前の私の大学受験時代に、古文の入試問題で出題頻度の高いのが紫式部の“源氏物語”と兼好法師の“徒然草”、そして作者不詳の“平家物語”と言われていたので私はこれらを全段(ホントに全部です。)読みました。その時に全段読んだ平家物語が、まさか今になって歌舞伎の理解の助けになるとは思いもしませんでした。因みに本番の入試では平家物語から「福原遷都」が出題されて嬉しさのあまり小躍りする思いで解答用紙に向かった記憶があります。
平成30年9月歌舞伎座夜の部は近松門左衛門作の平家女護島四段目の「俊寛」でした。物語は平治の乱に勝利した平清盛ら平家一門の専横を快く思わない法勝寺の僧俊寛や平判官康頼(へいはんがんやすより)、丹波少将成経(たんばのしょうしょうなりつね)らが平家打倒の謀議を凝らしたのですが密告により露見(鹿ケ谷の変)、三人は九州のはるか南の鬼界が島に島流しの刑に処せられます。今日のように交通が発達した時代と違い当時の鬼界が島は地の果てを通り越す絶海の孤島というイメージで、彼らの絶望は察するに余りあります。配流されて三年後、高倉天皇の妃(きさき)となった(時の最高権力者平清盛の娘)徳子が懐妊しその安産を祈願するために政治犯に対して恩赦が行われることになります。
その頃鬼界が島では尾上菊之助扮する成経と中村雀右衛門扮する島の娘千鳥が恋仲となり中村吉右衛門扮する俊寛らによって祝言が執り行われ、絶望の日々の中にも明るい日となったところに都から赦免船(しゃめんせん→俊寛らの罪を許すための使者が乗っている船)が島にやってくるのです。三人の狂喜如何ばかり!三年もの間気が狂うほど待ち焦がれ夢にまで見た赦免の使いの船です。俊寛ら三人と千鳥が赦免船に乗り込もうとすると上使の瀬尾太郎が意地悪く「船に乗るのは三人と決まっているので四人は乗せない。」と言い放つのです。落胆する成経と千鳥を見た俊寛が瀬尾太郎を切り殺し罪を着たうえで「自分は島に残るから成経と千鳥そして康頼の三人を赦免船に乗せて都に返してもらいたい。」と、もう一人の上使の丹左衛門尉基康(たんざえもんのじょうもとやす)に懇願し許されます。
赦免船が島を離れる時に成経ら三人に対して俊寛が「俊寛が今乗る船は弘誓(ぐぜい)の船、浮世の船に望みなし。」との名セリフを吐きます。“弘誓の船”とはこの世からあの世に導く三途の川を渡る船のことで“浮世の船”とは今回の赦免船です。一人島に残る決心をした俊寛は、かっこよく強がって見せたものの自分も都へ帰りたいという欲望が突然噴出します。沖へ去っていく赦免船に向かって矢も楯もたまらず走り出すのですがすぐ波に遮られます。おりしも満潮時刻に重なり波がどんどん上がってきます。舞台では波布といって波を模した布が俊寛を押し戻し、とうとう俊寛は小高い岩場に上ってしまいます。一人鬼界が島に残ることは死を意味するのです。生きることへの可能性を乗せた船がはるか沖へ遠ざかっていくのを見た俊寛が岩場から両手を挙げて「お~い」と呼びかけるところで幕となります。
私は平成3年11月歌舞伎座で今回同様中村吉右衛門丈の主演でこのお芝居を初めて観て以来今回でちょうど10回目となりました。この10回の観劇で俊寛役を勤めた役者は中村吉右衛門丈と松本幸四郎丈がそれぞれ3回、18代目中村勘三郎丈が2回、当代片岡仁左衛門丈(当時孝夫)と先代市川猿之助丈がそれぞれ1回です。歌舞伎界を代表する役者が、近松門左衛門の名作を、しかも百年二百年という単位で工夫に工夫を重ねたお芝居を繰返し演じるのですから完成度は高く歌舞伎の人気演目になるのも頷けます。
昭和40年にフランスはパリのオデオン座で17代目中村勘三郎丈(当代勘九郎のお祖父さんです。)が「俊寛」を演じ観客の反応も上々だったとかで、演劇評論家の戸板康二さんが「フランス人はみんなよくわかるようですね。」と言ったら、中村屋は「そりゃ島に流されたナポレオンの国だもの。」と、当意即妙に答えたという逸話が残されています。
日本人好みの俊寛の自己犠牲の精神に共感を覚え、それでも最後の最後に生への執着心が沸き起こって岩場の上から遥か波のかなたに小さくなっていく赦免船に向かってあらん限りの声で「お~い」と呼びかけるシーンは観客の涙を誘います。しかもここで歌舞伎のBGMとしての浄瑠璃方竹本葵太夫が「思い切っても凡夫心」で始まる名文句を唸るのです。成経と千鳥の願いをかなえるために自分が島に残ると思い切ったはずが、やはり自分は平凡な人間の心しか持ち合わせておらず、都へ帰りたい帰りたいという俊寛の悲しい思いを当代の名優が全身全霊で演じるのですから、その人間臭さとも相俟って観客はもうたまりませんね。
マーッタク 俊寛さん カッコ良過ぎ‼
でも、実際のところはどうだったのか? “ 俊寛 その二 ” で語ることにします。