令和という新元号になっての最初の歌舞伎観劇は東京品川にある寺田倉庫という大きい倉庫内の5階に舞台を設えての“女殺し油地獄”という中村獅童主演の人気狂言でした。

ホントの倉庫ですから内部はコンクリートむき出しの無機質な壁や天井です。その中の何本もある太い柱4本の間のスペースに一段高く舞台を設えてその四方にパイプ椅子で観客席を設営したのです。通常舞台に向かって観客席は一方向ですが、今回は四方から観客の鋭い視線を感じなければならない役者さんたちの緊張感如何ばかりかとちょっと気の毒にも思いました。その分多くの観客にとって舞台を間近く見ることができ、殺しの場面や他人の女房に言い寄る場面での息遣いやちょっとした仕草などを普段よりもさらにリアルに感じとることができた観客は多かったはずです。特に私が座った席は正面最前列の少し左寄りの所だったのですが私の目の前に舞台へ上がるための階段が置かれていたため役者さんたちがホントに私の傍50㎝ぐらいのところを通るというより舞台と私の隙間をすり抜けるという感覚でした。中村獅童の白塗りの顔に透ける毛穴まではっきりとこの目で見ることができたのはラッキーでした。男優の場合はラッキーとしか感じませんが、ある程度の年配の女優さんだと可哀そうに思うときがありますね。随分と前でしたが、美人女優T…えーい名前を明かしちゃえい!明治座のお芝居で多岐川裕美がやはり私の目の前ホントに1mも離れていない花道でじっと佇んだことがありました。昭和26年生まれの彼女は当時でも50代だったと思いますが目尻や首筋のしわが熱演による汗のせいか厚い化粧でも隠すことができず「エーッ美人女優多岐川裕美ってこんなおばあさんだったんだ!」と驚いたことがありました。多岐川裕美ファン御免なさい。

このお芝居の粗筋は今から300年程前に大阪で起きた実話を基にして近松門左衛門が脚色したもので、油屋を営む河内屋の次男与兵衛が遊ぶ金欲しさに義理の悪い借金をしたり、親から金を巻き上げたりと放蕩三昧を繰り返すうちにとうとうにっちもさっちもいかなくなり同業者の女房お吉に金の無心をしながら言い寄った挙句拒絶されこれを殺してしまうというものです。中村獅童扮する河内屋与兵衛は、入れ揚げている芸者小菊が自分のことを単なる金づると見下げ果てていることも知らず必死に口説こうとします。この小菊を口説くときの色男ぶった顔、筋の良くない浪人者から貸金返済の催促をされた時の気弱な様子ながら必死の弁明とこれをその場しのぎながらも逃れた時の安堵の面持ち、そしてこれと対照的な殺しの場面の悪鬼の形相を中村獅童という一人の役者がそれぞれの場面を短時間のうちにその表情を演じ分けるのも見どころの一つです。

一見するところあまり品も感じられず強面の中村獅童はそれぞれ全く異なった場面の顔を演じ分けるのがうまいですね。「童」の字がつく名前で長い間若手と思っていましたが昭和47年生まれの彼はもう47歳です。年齢に不足はありません。次第に歌舞伎界を牽引する存在になり始まっているのは喜ばしいことです。

また油屋女房お吉と芸者小菊の二役を演じたのが当代坂田藤十郎丈の孫で平成2年生まれの中村壱太郎(かずたろう)君で子供のいる年増の女房と玄人の芸者の色気を上手に演じ分けていたのも印象的でした。今後女形としての成長が大いに期待できそうです。(アハハ、エラソーに!)

江戸時代の実話に基づいたというこのお芝居を見て感じたのは、江戸時代も現代も人間の物欲・色欲はあんまり変わらないものだということです。昭和・平成・令和の御代でも遊ぶ金欲しさのあまり両親や祖父母を殺(あや)めてしまうという無軌道な若者とそれに至るまでの彼を冷ややかに見つめる関係者たちの振る舞いや思考がなんと似通っていることか。原因になった遊びの対象は異なるとはいえ容易に現代版“女殺し〇〇地獄”という戯曲が書けそうです。

ウーンどんなに道徳を説き教育をしても、また警察が目を光らせようともどうしてもこのようなありえない事件が稀には起きてしまうものなんでしょうね。まあそれだからこそそのような事件に手練の脚本家が脚色を施して一般大衆が喜ぶような戯曲に仕立て上げることができるので、もしかするとある意味そのような事件は有り難いことなのかもしれません。何たって“事実は小説よりも奇なり”なのですから。