令和17月の新橋演舞場は藤山直美主演で吉本興業の創始者吉本せい(昭和2560歳で没)を描いた「笑う門には福来る」でした。歌舞伎や映画などの松竹と、お笑いを主にした吉本興業は日本の興行界を代表する会社です。松竹は白井松次郎と大谷竹次郎の双子の兄弟が明治35年(1902年)に松竹合名会社として興したのが起源で当初は“しょうちく”ではなく“まつたけ”と発音していたそうです。歌舞伎や文楽そして演劇改良運動に熱心だった松竹に対して吉本興業は落語や漫才などお笑いに軸足を置いていました。それは終戦直後焼け野原に呆然とうずくまる吉本せいの前に現れた夫泰三の幽霊が「望みと夢を失くした人が溢れる今やからこそ“笑い”が必要なんや。笑いは生きる力なんや。」という劇中のセリフに如実に表れています。

白井松次郎と竹次郎兄弟による松竹創業の話はお芝居やテレビドラマに取り上げられることがあまり多くないようですが、吉本せいの話は小説にもなりまた帝劇での舞台公演(森光子主演)や一昨年のNHK朝の連続テレビ小説「わろてんか」など様々に取り上げられています。それほど波乱万丈の、物語の題材にうってつけの生涯を送った人だと言えます。

粗筋は、せいが平凡な大阪の荒物問屋に嫁いですぐ夫の吉本泰三が商売に身を入れない為店が倒産寸前に追い込まれ、起死回生を狙ったせいの発案で泰三の好きな興行の世界に飛び込んでみたらこれが当たるものの、泰三は抱えている女義太夫と浮気を繰り返します。そしてその夫の若くしての死。後を引き継いだせいと抱えている芸人たちとの軋轢、せいの後援者というより愛人と噂された市会議員の自死、順風満帆に思えた吉本興業の経営でしたが昭和20年の数次にわたる大阪空襲により所有していた劇場のすべてが焼失します。夫泰三との間には二男六女をもうけますが一男五女は夭折(ようせつ)、最も期待をかけた次男穎右(えいすけ)とは吉本興業お抱えの歌手で7歳も年上の笠置シヅ子(昭和6070歳で没)との結婚を反対したことによりほぼ絶縁状態となりその後わずか24歳で穎右も病死してしまいます。(因みにせいにとってたった一人の孫亀井エイ子は穎右の死後に生まれています。母親はもちろん笠置シヅ子)また吉本興業を一緒に支えてきた実弟林正之助(平成393歳で没)とも次第に経営を巡って対立を深めるようになります。

どのエピソードを取っても私ですら容易にすぐ脚本が書けそうな気がする(アハハ、エラソーに)ぐらいですが、今回のお芝居はこれらを観客の興味をひくように前作よりも誇張や創作をたくさん取り入れて脚色したようなので、始まりから最後まで笑わせてしんみりさせてそして藤山直美の真骨頂“鬼気迫る喜劇”に仕立て上げられた秀作となりました。

主演藤山直美によるこのお芝居は私にとって平成2612月に続いて二度目の観劇となりますが、間の取り方や体のキレは相変わらず素晴らしいものの、少し気になったのがセリフをしゃべる時の声のトーンでした。年齢を重ねると高いトーンを保つのが困難になり、年配の歌手は昔のキーから数段下げて歌うことが多いのだそうです。私は今回のお芝居を観て、藤山直美のセリフのトーンが以前に比べて少し低くなったような気がしたのです。より重厚な演技とセリフに聞こえないこともありませんが、ほんの少し違和感を覚えながらの“聞きなれた藤山直美節”に感じたのは私だけだったでしょうか。

昭和33年生まれの彼女は昨年12月で還暦を超えました。61歳を目前にして亡くなったお父さんの藤山寛美さんの年齢に近づいているのです。相変わらずふっくらした彼女ですが、首筋のしわもちょっと気になりました。二年前に発症した乳癌を克服し役者として復帰した藤山直美さん、どうか養生しながら舞台女優を一日でも長く続けてもらいたいと思うや切です。

折しもこのお芝居の公演期間中に吉本興業の人気芸人たちによる闇営業や反社会的勢力との関わりが毎日テレビや新聞を賑わしているようですが、出演俳優さん達はさぞお芝居がやりにくいことでしょう。お察しします。

ところでこのお芝居は私の弟と母親と三人でいつもの如く最前列で観たのですが、なんと私たちのすぐ後ろの二列目の席に当事務所のお客さんで親しくさせていただいている会社役員Hさんの親子三人さんも宮城県から遥々観に来ていたのでした。これまで数多(あまた)の観劇の中で知り合いの方に劇場内でお会いしたのは二度目です。しかも今回は前列と後列にくっついていましたのでなおビックリです。“私たちの方も親子三人でよかった!”とちょっと思いましたね。これが、誰が見てもそれとわかるような派手目の若いオネーチャンと私が一緒だったらえらいこと(そんなことあるはずもありませんが)でした。仙台や石巻の劇場ならいざ知らず遥か東京の劇場で知っている人に会うなど普通は考えられませんが、長い間には必ずあるんですね。

そういえば以前、(実力のほどは知りませんが)テレビでは人気の国会議員が女性タレントや敏腕弁護士、あるいは同じ議員同士で京都旅行に行ったりホテルで密会したり新幹線で手をつなぎ合ったりなどという“事件”がありましたが、テレビを通して顔のよく知られた議員さんが公衆の面前で連合いでない人とそのような振舞いに及ぶなど私からすれば考えられませんね。この人たちは隠す気持ちがあまりなかったということなんでしょうかね。“隠すより現る”と言うように隠そうとすればするほど露見するものですが、隠そうとしなければなお現れることは当たり前の話です。

オッと、自分も自戒せねば!