( “父の詫び状” その四 )

“父の詫び状”というお芝居とTVドラマは向田邦子が小説として書き上げたものではなく、昭和53年に発行されたエッセイ集に基づいて脚本家が自由に発想を膨らませて諸エピソードをつなぎ合わせ、創作も交えて一編の戯曲に仕立て上げたものです。それ故にそれぞれの脚本家の思いが強く筋立てに現れるため、原作とは随分と違う印象の作品に姿を変えます。まさに“換骨奪胎”或いは“オマージュ”とも言える作品に生まれ変わるかのようです。

エッセイと舞台とTVドラマでは作品の中の登場人物の名前さえ違うものとなっており、わかりにくいので一覧にまとめてみました。

 

エッセイ集(昭和53年) 舞台(平成7年)     TVドラマ(昭和61年)

原作 向田邦子    脚本 金子成人      脚本 ジェームス三木

 登 場 人 物    配 役   俳優名     配 役    俳優名 

 向田邦子      中牟田史子  高橋かおり  田向恭子   長谷川真弓

邦子の父 敏雄   中牟田時雄  杉浦直樹   田向征一郎  杉浦直樹

邦子の祖母 きん  中牟田とめ  藤間紫    田向千代   沢村貞子

邦子の母 せい   中牟田さわ  藤村志保   田向しのぶ  吉村実子

邦子の弟 保雄   中牟田信夫  嶺岸和城   田向武    藤田龍美

      保雄の友達 富迫  富迫     大野雅一   中富     中野康

       記述なし     溝口老人   下元勉    橋本老人   殿山泰司

       記述なし        登場せず       吉岡少年   市川染五郎

       記述なし     隣人 根本  名古屋章      登場せず

エッセイ集“父の詫び状”は昭和51年から翌年に掛けて「銀座百点」という雑誌に連載をした(昭和53年に単行本化)もので第一回が“父の詫び状”、第二回目が“身体髪膚(しんたいはっぷ)”、第三回目が“隣の神様”という具合に最終回の“卵とわたし”まで合計24本のエッセイとなっています。令和2年の今日でも、文庫本ですが容易に入手できます。

このエッセイ集は、向田邦子の戦前の女学生時代から戦後の売れっ子脚本家になるまでの、父親敏雄をはじめとして向田家の家族に関する数多(あまた)のエピソードが掲載され、それに“昭和”というスパイスを効かせながら美しい日本語の筆致で綴られています。エッセイ集には記述されているものの舞台にもTVドラマにも取り上げられなかったエピソードはまだ沢山あり、これらをつなぎ合わせてさらなる別な「父の詫び状」というお芝居に仕立て上げるのはそう難しいことではなさそうな気がします。宮藤官九郎さん辺り書いてもらえませんかね。

原作のエッセイ集にはそのような記述はないのですが、主人公中牟田時雄(=田向征一郎)の母親の身持ちの悪さを印象付ける場面として舞台でもTVドラマでも老人の男友達が出てきます。(まあ単純にお茶を飲み、散歩に一緒に出かけたり、たまに見世物小屋に入るだけなんですけどね。)向田邦子の実の(父方の)祖母きんは自分がそのように描かれたことにあの世できっと気分を害しているに違いありません。

またTVドラマでは田向恭子が密かに憧れを抱く近所の歯科医の息子吉岡少年が出てきますが、エッセイ集にも舞台にもその場面はありません。吉岡少年役を演じた出演当時13歳だった市川染五郎くん(当代松本幸四郎丈です。)を今改めて見てみると育ちの良さに加えて初々しく可愛らしかったですね。

さらに舞台では中牟田時雄の友人で隣に住まいする根本が「母親にやさしくしてやれよ。」と諭すシーンがありますが、これはエッセイ集とTVドラマにはありません。舞台のこの場面では“わかってんだよ、言われなくってもそんなことは。でもそれができない俺の辛さを察してくれよ。”と言いたげな杉浦直樹扮する時雄の表情が忘れられません。

エッセイ集では邦子の弟保雄の友達富迫君の母親が貧苦の中亡くなり邦子らと共に一人ぼっちになってしまった富迫君の狭い家に弔問に行った記載がありTVドラマでもその弔問の場面は取り上げられていますが、舞台だけさらにもうワンシーン追加して遠くの親戚に引き取られる前に中牟田家にあいさつに来る感動的なシーンがあることは“その一”に書いた通りです。この場面は舞台脚本を書いた金子成人の反戦という(そして貧乏を呪うという)強い思い入れがそういうシーンをいれさせたのでしょうか。

それから舞台では中牟田時雄が家庭の中では暴君であり続けても連れ合いのさわ(設定では40代前半でしょうか)が老眼で針に糸を通すのに難儀しているのを見かねて「貸してみろ。」とわざと邪険に言って自分がさらに苦労しながらも針に糸を通すシーンがあり何とはなしに長年連れ添った夫婦の愛情を感じられてホッとさせられる場面となっていますが、エッセイ集にもTVドラマにもそれはありません。

ところで舞台でもTVドラマでも「父の詫び状」は中牟田時雄(=田向征一郎)の母親とめ(=千代)の葬儀に際し一生懸命家族が立ち働いてくれたことに感謝し、合わせてこれまでの暴君ぶりを詫びるものに仕立て上げられています。しかしエッセイ集第一作に書いてある「父の詫び状」を読むとこの“詫び状”は、向田邦子に対し父敏雄がそのような状況で出したのものではないことに驚かされます。

戦後間もない昭和22年ごろ邦子は東京の実践女子大の学生になったものの大手保険会社に勤務する父親敏雄は仙台の支店長に栄転し邦子は東京に住まいする母方の祖母と一緒に暮らして大学に通い、たまに仙台の父の家に帰省するのです。そのとき例によって父親敏雄が会社の同僚やら保険外交員やらを大勢家に連れてきては夜遅くまで散々飲んだ挙句酔いつぶれて明け方に帰って行った客が粗相した吐瀉物(要するにゲロです。)を、東京以西で生まれ育った人にすれば凍てつく仙台の寒さの中、邦子が敷居の細かいところまで詰まったものを(腹を立てながら)爪楊枝で掃除したことがあります。後ろで見ている父は手伝うどころかねぎらいの言葉すらありません。

そして邦子が東京に帰る日いつも通り仙台駅に見送りに来た父は「じゃあ」と言ったきりやはり格別の言葉はありません。ところが東京の祖母の下に帰ったら父敏雄から手紙がすでに届いており、いつもよりは改まった文章の最後に「この度は格別のお働き」という一行がありそこだけ朱筆で傍線が引かれてあったそうです。これが「この間は汚い仕事をさせて悪かったな。」という実際の“父の詫び状”だったのです。口で言いたくても言えなかったので、手紙に代弁させたという稚気愛すべきお父さんだったようです。

ただジェームス三木や金子成人という名脚本家の手になるとこれが全く違った使われ方をして感動的なシーンに生まれ変わるのです。さすが!としか言いようがありません。