「砂の器」 その一
「ぱあと50」で監督や演出家による原作の脚色・書き換えは原作のイメージが損なわれることがあってあまり好ましくない気がするというような意味のことを書きましたが、多くの場合原作の品質まで落としてしまうことがあるように思います。著名な推理作家の作品を2時間ドラマなどでテレビ放映されることがよくありますが、予算や時間の関係なのでしょうが大事な部分を省略したり大胆に粗筋を書き換えてしまって原作とはずいぶんと違う(言葉を換えれば原作より全くつまらない)ドラマになっている場合が多くあります。
もう10年以上も前の話ですが大物演歌歌手Ⅿが元売れっ子作家Kの作詞した歌にオリジナルにはないセリフを入れて紅白歌合戦で歌ったことがKの逆鱗に触れ騒動になったことがありました。その時著作権というものは厄介なものだと気づかされましたが、舞台や映画などの脚色や書き換えは大丈夫なのかなと少し心配になります。
ところで監督による脚色・書き換えが原作を超える大成功を収める場合も(数は少ないと思われますが)もちろんあります。好例が昭和36年発表松本清張の手になる「砂の器」です。原作は文庫本上下巻で9百数十ページに及ぶ長編推理小説で、(多くの方がご存知でしょうが)粗筋は東京蒲田の国鉄操車場で元巡査の三木謙一の惨殺死体が発見されます。捜査は難航しますが今西刑事の執念の捜査で犯人は新進気鋭の音楽家和賀英良こと本浦秀夫と判明し、世界の舞台で自分の音楽の腕を試すために渡米する直前羽田空港で逮捕されるのです。
和賀英良という名前と戸籍は自分の忌まわしい生い立ちを捨てるために終戦のどさくさの際に戸籍制度の弱点を突いて手に入れたものでその後本浦秀夫ではなくずっと和賀英良として戦後を生きて音楽家として名を成します。有力政治家の娘とも婚約を発表しこれから順風満帆の人生と思われたところにその不幸な幼少時の過去を知る三木元巡査が現れ、戸籍偽造やおぞましい自分の出自が世間に露見するのを恐れるあまり和賀英良は三木元巡査を惨殺するのです。
本浦秀夫の父親千代吉はライ病(ハンセン氏病)を患ったせいで連れ合い(秀夫の母親)に去られた上に住まいしていた石川県の寒村を追われ、幼い秀夫を連れて信仰により業病を直そうと巡礼姿となって全国放浪の旅(要するに流浪の乞食です。)に出ますが悲惨な旅だったに違いありません。昭和13年ごろ放浪の果て島根県亀嵩(かめだけ)に辿り着いた本浦親子は地元の心優しい巡査三木謙一によって保護され、千代吉をライ病患者収容施設に入れてやり残された7歳の息子秀夫を自分の所で面倒を見るのですがその環境になじまなかったか秀夫は三木巡査の元を抜け出します。
その後10数年の時は流れ、60歳を過ぎて悠々自適の毎日を送っていた三木謙一はある時自分が昔保護した本浦秀夫が和賀英良という有名な音楽家になっていることを知り、千代吉と息子を引き離してしまった自責の念から秀夫に会いに行って殺されるというあまりにも悲しい物語りです。
ベストセラーになった「砂の器」は昭和49年野村芳太郎監督によって映画化されます。今回40数年ぶりに原作を丹念に読み返し、映画のDVDまで手配してこれも久久にじっくりと見ました。原作を読んでから映画(や舞台など)を見ると、「黒蜥蜴」の時もそうでしたが、様々なことに気づかされるのに少々驚きました。
今西刑事役には映画公開当時52歳だった丹波哲郎(平成18年没)、和賀英良役には当時36歳だった加藤剛(昭和13年生まれ現在80歳!)が務め、ほかには佐分利信・加藤嘉・緒形拳・森田健作・島田陽子・山口果林・笠智衆・渥美清・松山省二・内藤武敏・穂積隆信・信欣三・夏純子・村松英子・野村昭子・春川ますみ・菅井きん・殿山泰司・稲葉義男・山谷初男・浜村純など手練れの俳優女優が大勢脇を固めて今思うと涙の出るような豪華キャストでした。そして映像の中の皆さんのお若いこと!お美しいこと!! そして多くが物故者となっているのも悲しい事実ですが、当たり前ですね44年も前の姿ですから。
上演時間2時間20分ほどのこの映画はプロローグから概ね2/3が今西刑事の捜査の苦心譚が原作に沿うように描かれていましたが、原作にあった多くの部分が省略され描かれなかったのは映画の時間的制約を考えるとやむをえないことです。後半の1/3は和賀英良が渡米する前に開催したリサイタルでのピアノの演奏シーンと、演奏中和賀の脳裡に浮かんだ村を追われてからの辛い放浪生活が走馬灯のように描かれるシーン、そして和賀が犯人であると突き止めた今西刑事が捜査会議でメンバーに和賀が三木元巡査殺しの犯人である理由を説明しこれまでの謎が次々に解けていくシーンが交互に映し出されます。(現在の2時間ドラマなどでよく使われる手法ですが、もしかするとルーツはこの映画かもしれせん。)この後半1/3の場面はその多くが野村芳太郎監督らの創作によるものですが、原作者の松本清張が「小説では絶対に表現できない。」とこの構成を高く評価したと伝えられています。ピアノの演奏中に和賀英良こと本浦秀夫が業病の父親と共に全国を放浪するうち、ライ病を患う乞食と気づかれて施しを受けられなかったシーンや、秀夫と同じ年頃の子供らにいじめられ小学校の校庭で先生を中心にお遊戯をする小学生のグループを恨めし気に土手の上から見下ろすシーン、そして「押し売りと乞食、伝染病患者はこの村に入るべからず」という立て札の前で警官に邪険に追われるシーンなどが、随所に昭和の原風景を織り交ぜつつ日本列島の美しい四季を放浪する親と子の旅として次々に描き出されるのです。かかる脚本を「男は辛いよ」シリーズの山田洋次監督が手掛けていることも併せて付記しておかねばなりません。
ピアノ演奏中の和賀の心の中では「この辛酸の果てに今があるんだ、父さん見てくれているか。」と叫んでいたかもしれません。原作にはない映画の脚色がここまで見る者に感動を与えるものかと思うほどです。
さらにもう一つ、原作では本浦千代吉がすでに死亡しているのですが映画ではライ病の療養施設で生存しているという設定にして、今西刑事が和賀英良は本浦秀夫であることを確認するために千代吉に会いに行くシーンがあります。
車椅子に乗せられて今西刑事と面会した千代吉を演じたのが加藤嘉(昭和63年没)ですが、和賀の写真を見せられた瞬間我が子秀夫だとすぐ確信します。しかし刑事が持ってきた写真ということでとっさにただならぬものを感じたか、嗚咽しながら「そんな人知らねえ。」と生き別れた息子への思慕の情を必死の思いでこらえるのです。余命いくばくもない自身のことはさておき親らしいことを全くしてやれず苦労ばかり掛けた消息不明だった我が子の幸せを祈るばかりの(病気が進んで左目があかなくなっていた)千代吉役を加藤嘉が見事に演じ切りました。原作にはほとんど登場しない千代吉ですが映画では和賀英良の回想シーンと、このライ病棟のシーンに描かれており「砂の器」の悲劇性をさらに浮き彫りにする重要な存在となっています。
私はこの本浦千代吉が「映画版 砂の器」の第三の主人公ではないかとすら考えていますが、それも名優加藤嘉が演じたからこそかもしれません。映画では三木謙一役を務めた緒形拳が野村芳太郎監督に「本浦千代吉役をやりたい。」と熱望したにもかかわらず監督からは「最初から加藤嘉さんで行くことに決まっている。」と断られたエピソードがあるそうですが、やはり千代吉役は加藤嘉以外には誰も考えられませんね。
映画には小説では絶対に表現できないものがあります。それは実際の音です。和賀英良のリサイタルの時演奏されたのは和賀自身が作曲した「宿命」という曲ですが、実際は音楽監督の芥川也寸志の協力のもと菅野光亮が作曲したものでその重厚な響きは(音楽を全く理解しない私にも)和賀英良こと本浦秀夫の一生が重なって見えて感動を一段と強く感じました。