“ぢいさんばあさん”という新作歌舞伎があります。森鴎外の短編小説に宇野信夫が脚色・演出を加え70分ほどの芝居に仕上げたもので昭和26年に歌舞伎座で初演されています。私が歌舞伎座でこのお芝居を最初に観たのが平成87月でしたからもう随分と前のことになります。

粗筋は、江戸番町に住む(片岡仁左衛門扮する)美濃部伊織とその妻(坂東玉三郎扮する)るんが仲睦まじく暮らしている所、るんの弟久右衛門のせいで伊織が急に1年間単身での京都二条城勤務を命じられてしまいます。結婚の年に庭に植えた桜は今回で三度目の春を迎え、その若木の下で二人は別れを惜しみます。

京都勤務三ヵ月が過ぎたころ伊織はひょんなことから同僚の下嶋甚右衛門を切り殺してしまい、京都勤番の役を解かれて越前有馬家へお預けの身となります。妻るんも遠く離れた筑前黒田家で奥女中として奉公にあがります。伊織の屋敷はるんの弟久右衛門とその息子夫婦久弥ときくが守り続けます。

37年の歳月が流れ伊織はその罪を許されて江戸番町の自身の家に戻り、黒田家での長い奉公を終えた妻るんと再会することになります。駕籠から現れた立派な身なりの老女るんと70歳を過ぎた伊織とは互いに最初はわからなかったのが、考える時に鼻を押さえる伊織の癖からるんが夫だと気が付きます。大きく成長した満開の桜の木の下で過ぎ去った時間を取り戻すかのように二人は語り合い、今日から新しい生活を始めようと誓うのでした。

記憶に残るのは、平成222月歌舞伎座で見た玉三郎扮するるんが新妻の時の香り立つような美しさと、老女となって再会するときの髪の毛が真っ白になった姿です。立ち居振る舞いもすっかり老女のそれで、玉三郎はあまりこのような老け役を演じなかったような気がしたので、その対比が強く印象に残っています。

森鴎外の原作には久弥夫婦は登場せず、また伊織の鼻を押さえる癖のくだりもありません。劇作家宇野信夫が37年ぶりの再会をこの芝居のヤマ場にしようとした創作ですが、それがさらなる感動を生んだようです。

歌舞伎の舞台を主に撮影するカメラマンの吉田千秋さんが歌舞伎の役の名前で「いろはがるた」を作ろうとしたとき、イロハの“イ”は廓文章吉田屋の伊左衛門(ざえもん)、最後のエヒモセスの“ス”は積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)の傾城の墨染(みぞめ)までみんな揃ったのですが、“ル”がないと嘆いていた時に“ぢいさんばあさん”のんを思い出して大喜びしたという逸話が残っています。“ル”で始まる名前を私も歌舞伎の役名から一生懸命探してみたのですが、やはりこの“ぢいさんばあさん”以外にはありませんね。

感動的でわかりやすいストーリーの“ぢいさんばあさんは”、当代仁左衛門や18代目勘三郎などの伊織と玉三郎のるんで上演が繰り返されてきました。37年ぶりの夫婦の再会の日、すっかり年老いた伊織夫婦と主(あるじ)なき伊織の屋敷を守ってきた甥の若夫婦の対比が長く辛い運命を浮かび上がらせます。

70分ほどの短いお芝居の中で37年という歳月を観客に伝えるために、伊織夫婦の容姿は元より家屋や庭の木などにも様々な工夫がなされ、観客は改めて長い年月の無情と歴史の重みを感じます。このお芝居は江戸時代の設定ですから現代の人から見れば、舞台の上で叔父夫婦の再会を喜びながら何の屈託もなかった若夫婦もとっくにいなくなっています。昭和26年の初演時に伊織を演じた初代市川猿翁(当代猿之助のお祖父さんです。)が「若さっていいなあ、芸は未熟でも将来がある。我々老人は芸があっても先がない。」としみじみ語っていたことがあったそうです。初演時に若夫婦を演じた市川門之助と岩井半四郎もとっくに亡くなっています。流れ続ける歳月につくづく無常を感じずにはいられません。